2012年3月13日火曜日

坂本龍一のアルバム5選

私のブログ名のしっぽにつけている「BTTB」は、坂本龍一のアルバム『BTTB』のタイトルを引用したものである。「BTTB」とは、バック・トゥー・ザ・ベイシック(Back To The Basic) の略で、「原点回帰」という意味である。
私も「隠居」の身となったので、あらためてまた一からやり直したいという思いを込めて、この言葉をブログ名につけた次第だ
じつは「BTTB」には、個人的にもうひとつ別の意味も掛けてあるのだが、そっちの方は内緒。

ちなみに私は坂本のアルバム『BTTB』は持っていない。マキシ・シングル『ウラBTTB』の方は持っているけど。そこで、今回はアルバム・タイトルを拝借させていただいたお礼(無断だけど)ということで、坂本龍一に敬意を表しつつ、彼のアルバムのベスト5を選んでみた。

私は坂本龍一のあまり良いファンではない。しかし、坂本がサブカルのヒーローだった80年代、彼はやはりずっと気になる存在ではあった。
しかし、当時から感じていたことだが、彼のアルバムはどれも詰めが甘い。部分的に(場合によるとアルバム丸ごとが)中途半端なところがあって、どのアルバムもバランスが悪いのだった。

坂本龍一という人は、自己顕示欲が旺盛なのではないかと思われる。何かコンプレックスがあるのかもしれない。言動もそうだし、自分の顔をアルバムのジャケットにしたりすることからもそんな感じがする。平たく言えばカッコツケ、エエカッコシイである。
そういう人は自分を突き放せない。自己顕示に振り回されて本当の自分が見えなくなってしまう。そのためにアルバムをプロデュースする際にも、客観的に見ることが出来なくなって足をすくわれてしまうのではないか。うがちすぎかな。セルフ・プロデュースには向いていない人なのだ。
だから、どんなにプロデュース能力に優れているにせよ、自分のアルバムのプロデュースは他人にまかせればよいのだ。実際、他者から与えられた制約の中で、この人はフルに能力を発揮しているように見える。

以下今回はとりわけ極私的なアルバム5選である。

<坂本龍一のアルバム5選>

第1位 『エスペラント』
第2位 『テクノデリック』(YMO)
第3位 『B- UNIT
第4位 『Coda』
第5位 『ジ・エンド・オブ・エイジア』(坂本龍一+ダンスリー)
<次点> 『未来派野郎』のB面

<アルバム5選の概要>

結果的に「ふつう」のソロ・アルバムは、あんまり入らなかった。そういうのではなくて、依頼を受けてとか、コラボとか他者からの制約を受けながら作ったアルバムが中心になった。
私は坂本の「あまりよいファンではない」とさっき書いたばかりだけれど、『左腕の夢』も『音楽図鑑』も挙げず、さらに80年代中期以降のアルバムについては一顧だにしないでおいて、こういうセレクションをするということは、ようするに私が世間で言うような坂本ファンではないということなのかもしれない。
でも、この5枚と1/2で聴ける坂本龍一は、間違いなくいいよ。

<各アルバムについてのコメント>

第1位 『エスペラント』

坂本龍一のアルバムの中で、もっとも現代音楽寄りの作品。全編にわたり、非ポップで、アヴァンギャルドな音が響き続ける。坂本の研ぎ澄まされた美意識が全面展開された傑作だ。
これは依頼を受け前衛舞踏のための音楽として作られたものという。特殊な限定の中で、よけいなことは考えず、ひたすら鋭角的な音の世界を作っていったことがよい結果となったのだと思う。
硬質な音による隙間の多いミニマルな音世界は、一見クールだが、ケチャやガムランなど東南アジアのエスニック・ミュージックをなぞっているような部分もある。そういうところは、『テクノデリック』(YMO)や『戦場のメリー・クリスマス』のサウンド・トラックとも類似している。そうした、エスノ的熱っぽさをはらんでいるために、機械的な冷たさはない。

第2位 『テクノデリック』(YMO)

 これまでになくダークな1曲目「ピュア・ジャム」からどんどん引き込まれていく。次の「ノイエ・タンツ」以降のサンプリング音によるリズム・トラックにびっくり。それはいまだかつて聴いたことのない音だった。とくに坂本の「京城音楽」におけるサンプリングした人の声によるパーカッシブなビートはクールで見事だ。
 ただし例によってユーモアを半端なまま放り出してしまった「体操」みたいなダメ曲もある。

YMOの音楽は、BGMとして好きだ。が、私にとってはそれ以上のものではない。ただし、アルバム『BGM』と『テクノデリック』だけは別。私はYMOのファンではないが、この2枚のアルバムのファンではある。
この2枚を評価するのは私だけではないようだ。中村とうようも『ミュージック・マガジン』誌上で、次のように語っていたのが印象に残っている。「今回のアルバム(『テクノデリック』)は音楽的にはこれまでで最高、売り上げは最低になるだろう」。たぶんその通りの売り上げだったのではないか、ミーハーにこびなかったから。

YMOというのは、非常に胡散臭いバンドというのが私の印象だ。もしかすると胡散臭いのはバンドそのものではなくて、その「売り方」ということかもしれないが。だが「フェイク」を気取っていたこのバンド、じつは冗談抜きの本当の「フェイク」(いんちき)だったのではないかという気もする。ファッションや、能書きも含めてね。
初期のワールド・ツアーなんかかなりアヤシイ。ロンドンで2回、パリで1回、ニューヨーク周辺で5回、ライブ・ハウスみたいなところで演奏したとのこと。これで「ツアー」?要するに日本国内で売るための話題作りでしょ。

しかし、細野も坂本も根はマジメな人たちだったのだと思う(高橋については知らない)。大衆路線にがまんできず、ついシリアスにミュージシャン・シップを発揮してしまったのが、『BGM』と『テクノデリック』だったのだろう。
このあと次作『浮気な僕ら』で、すぐにまた売れ線に復帰してしまったのは残念だった。

第3位 『B- UNIT

 やる気満々の攻撃的アヴァン・サウンド。全体に当時のパンク/ニュー・ウェイブ、とりわけダブやインダストリアルの影響が濃厚だが、煮え切らない面もある。坂本の叙情性がたぶん邪魔するのだ。
1曲目「Differencia」の痙攣的なビートと7曲目「Not The 6 O'clock News」のラジオのサンプリング音を切り刻んだ変態的音響がたまらない。
この時の坂本は今いずこ……。

第4位 『Coda』

これは『戦場のメリー・クリスマス~オリジナル・サウンド・トラック』の曲を、曲順をそのままにソロ・ピアノ版にアレンジして演奏したアルバムである。

大島渚の映画『戦場のメリー・クリスマス』は、何とも変な映画だった。ストーリーのバランスがまず悪い。坂本はサウンド・トラックばかりではなく、出演もしているのだが、当然、演技は素人で台詞も棒読みに近い。「怪演」とか「存在感がある」とまでもいかないレベルの演技なのだが、そこを逆手に取った大島監督の演出によって、変に印象に残るキャラクターにはなっていた。
このほか、デヴィッド・ボウイとか北野武とか、癖のある人たちが出ているのだが、その起用がそんなに効果的とも思われないキャスティングだった。
 ただ、映画館に鳴り響く冒頭のテーマ曲「メリー・クリスマス ミスター・ローレンス」は素晴らしく印象的だった。

 オリジナルのサウンド・トラック盤は、曲がどうしてもそれぞれの場面と一体になっている。それに比べて、『Coda』ではより純粋に坂本の音楽の魅力に触れることができる。

第5位 『ジ・エンド・オブ・エイジア』(坂本龍一+ダンスリー)

ダンスリーは西洋中世音楽を演奏するグループ。このアルバムも全体を中世音楽的なおだやかなテイストで満たされている。坂本は、プロデュースと楽曲提供(12曲中の5曲)と一部の演奏に参加という形で関わっている。
この音楽の「成分内訳」の内、坂本の音楽がどのくらいの割合を占めるのかは、正直言ってよくわからない。
 だがここで聴ける音楽は心地よい。坂本のソロ作品中のライトでbGM的な曲に通じる感じもある。しかしこちらは坂本の作品に常に漂うけれん味がなくてすっきりしている。そしてすなおに彼の持ち味が引き出されているような感じがある。

<次点> 『未来派野郎』のB面

LPのB面、CDの5曲目以降がいい。イタリアの20世紀初頭の美術運動「未来派」をテーマとしたサンプリングとサウンド・コラージュの怒涛の波状攻撃。アヴァンな瞬間が快感だ。
でもなぜ今「未来派」なのかはよくわからない。たぶん例によって流行(はや)りだからでしょう。もしかしたら美術コンプレックスもあるのかな。

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