2012年6月29日金曜日

ポール・サイモンのいちばん良かった頃

ポール・サイモンのアルバムで、いちばん好きなのは1973年の『ゼア・ゴーズ・ライミン・サイモン(ひとりごと)』と、75年の『スティル・クレイジー・アフター・オール・ジィーズ・イヤーズ(時の流れに)』だ。ポール・サイモンがいちばん良かったのは、やっぱりこの頃だろう。
1986年の『グレイスランド』以降が良いという人(本当にそんな人がいるのか)を除いて、残りのファンの99.9パーセントは、この2枚の内のどちらかを、ポール・サイモンの最高傑作に挙げるに違いない。

1970年頃のロック少年(私もその一人)にとって、サイモン&ガーファンクルは、ビーチ・ボーイズやモンキーズやカーペンターズと同様、ロックではなくてポップスのグループだった。
だからまともに聴くような音楽とは思っていなかった。でも、まあ根がポップス育ちなので、彼らのヒット曲はそれなりに好きだった。とくに「アメリカ」とか「スカボロー・フェア」なんかはね。
だから当時のロック少年たちが持っていたサイモン&ガーファンクルのアルバムは、たいていベスト盤と『明日に架ける橋』の2枚ぐらいだったはずだ。

それにしても名曲と言われている「明日に架ける橋」は、その大仰な歌い上げぶりに、やっぱりシラけてしまったものだ。これじゃあ第二の「マイ・ウェイ」じゃないの。
後年になってポール・サイモンの3枚組のベスト盤『1964/1993』に収録されている「明日に架ける橋」のデモ・テイクを聴いた。弾き語りのギターのみを伴奏にポールがとつとつと歌うこの曲は、とてもデリケートで好ましい曲に聴こえた。
アルバム『明日に架ける橋』の中で、私が好きなのは、リズムがヘンな「セシリア」とか、歌詞がヘンな「フランク・ロイド・ライト」とか、コーラスがヘンな「ボクサー」あたりかな。
ロック的な「キープ・ザ・カスタマー・サティスファイド」、「ベイビー・ドライバー」、「バイバイ・ラブ」なんかは、かえってそのロック具合がなんとも中途半端で、ロック少年(私)にはひどくつまらないものに聴こえたものだ。

そんなわけで、サイモン&ガーファンクルが1970年に解散してからのポール・サイモンのソロ活動にも、私はほとんど興味を持っていなかった。
「母と子の絆」とか、「僕のコダクローム」とかヒット曲はリアルタイムで聴こえてきて、よい曲だなとは思っていたけれど。

そんな私があらためてポール・サイモンに向き合うことになったのは、もう80年代に入ってからのことだ。
たしか『時の流れに』を聴いたのがきっかけだった。
いいアルバムだと思った。控えめで穏やかでクールなポール・サイモンの歌い方にまずひかれた。
当時世の中には、AORなどオシャレでセンスの良い音楽があふれていた。ポール・サイモンの曲もソフィスティケイトされていたが、うわべだけでない切なさと孤独感があった。

しかも、曲の内容が良くできている。内省的で自分に対してシニカルなところが魅力的だった。
とくに一曲目のタイトル曲「スティル・クレイジー・アフター・オール・ジィーズ・イヤーズ」。
昔の恋人に街でばったり出会う。大人の二人だから一緒にビールを飲みながら、かつてつき合っていた頃の思い出話をする。なつかしく思い出される日々、そしてあの頃の自分自身。あれからずいぶんいろいろな事があって、時間が経ったというのに自分がちっとも変わっていないことにあらためて気づく。
時は流れたのに、僕は相変わらずあの頃のようにクレイジーなままさ。ちょっと変わり者で、世間とうまく折り合いがつけられない。都市生活者の孤独と哀愁がじわじわと伝わってくる。まるで短編小説のように。

それからシングル・ヒットした「50ウェイズ・トゥー・リーヴズ・ユア・ラヴァー(恋人と別れる50の方法)」なども、もうタイトルからして気が利いている。こんな具合にこのアルバムは、一冊の良くできた短編小説集のようだ。昔読んだ『ニューヨーカー短編集』を思い出した。
この本は、都会派雑誌として知られるアメリカの『ニューヨーカー』誌に掲載された小説から編んだ短編集。都市生活者の哀歓が、ウィットに富んだ洒落た筆致で描かれている。『時の流れに』は、ちょうど『ニューヨーカー短編集』の音楽版といった感じだった。

 そこで、ライヴ盤をはさんで、その一つ前のアルバム『ゼア・ゴーズ・ライミン・サイモン(ひとりごと)』も聴いてみた。これもまたよかった。そのよさは『時の流れに』とは、ちょっと違っていたけれども。
このアルバムは、S&G解散後のポール・サイモンのソロ2作目に当たる。『時の流れに』のようないかにもニューヨーカー的な感じはない。もっとカラフルで軽快でポップな面が強く出ている。しかし、醒めていてクールなヴォーカルと、哀感は共通している。「サムシング・ソー・ライト」とか「アメリカン・チューン」は本当によい曲だと思う。

この2枚を聴いて、これは大変だと思った。こんなよいものを知らないで過ごしてきたとは。そこで、あわててこの2枚の前後のアルバムも聴いてみたのだ。
しかし結論から言うとよいのはこの2枚だけ。魔法はこの2枚にしか起こらなかったのだ。

『ひとりごと』の前作、解散後のソロ一作目『ポール・サイモン』は、ヒット曲「母と子の絆」と「僕とフリオと校庭で」を含むが、弾き語りの静かで地味な曲が多い印象だ。アルバム・ジャケットの印象どおりというか。
『時の流れに』の後の『ワン・トリック・ポニー』、『ハーツ・アンド・ボーンズ』もまた、ジャケットの雑なアート・ワークどおりのやっぱり雑で地味過ぎるアルバムだった。まったく売れなかったのもよくわかる。
そしてその次の『グレイスランド』。現在では、名盤と言われているらしいのだが、私にはまったくつまらなかった。これ以降のアルバムはもう聴く気が起きなかった。

『グライスランド』の25周年記念盤というのが出るらしい(2012年7月発売予定)。オリジナルは1986年発売だから、「25周年」というのは去年のはずだけど?
『グレイスランド』は、ポール・サイモンが南アフリカに赴いて現地の黒人ミュージシャンを起用して作ったことで話題になったアルバムだ。
ポール・サイモンは、このアルバムを作ることによって南アのアパルトヘイト(黒人差別)政策に加担したとして大変な非難を浴びた。当時、南ア政府のアパルトヘイト政策に抗議して、世界各国は南アとの文化交流をボイコットしていた。そのさなかに彼はのこのこと南アへ出かけて行って「文化交流」をしてしまったからだ。
この批判は当然だと思う。時が経ち、評論家やファンは、ポール・サイモンを擁護している。いわく、彼が起用した現地の黒人ミュージシャンが広く知られるきっかけを作ったとか、このアルバムがアフリカの音楽を広く世界に紹介するきっかけになったとか…。
でも彼の行動が、結果的にアパルトヘイト政策をいくらかではあるが助長したことに変わりはない。ポール・サイモンはこれらの批判にこう答えている。「僕はただいいアルバムを作りたかっただけなんだ」。
あくまで自分の意図だけを語る姿は哀れだ。自分にそんなつもりはまったくなくても、自分の行動が客観的にどういう結果をもたらしてしまうのか。それこそが問われているというのに。

それと音楽とは別だと言うかもしれない。しかし、そういう自己本位主義は何より『グレイスランド』の音そのものに表れているような気がする。
『グライスランド』は躍動感のあるアルバムだ。しかし、そんな現地のミュージシャンの奏でるアフリカ的な要素と、ポール・サイモンの世界とに、どうしてもとってつけたような違和感を感じてしまう。
ここで念のために言っておくと、私はアフリカのポップスもそこそこ聴いてきた。何しろ、長く『ミュージック・マガジン』を愛読してきたので。シェブ・ハレッド、キング・サニー・アデ、フェラ・クティ、サリフ・ケイタ、ユッスー・ンドゥールなどなど、いずれも一時期ずいぶん愛聴したものだ。だから、このアルバムのアフリカ的要素そのものに違和感を感じているのではない。

ポール・サイモンは、自分とアフリカの音楽との間に距離をとっている。あくまで、自分の歌の世界を表現するための一要素としてアフリカ音楽を使っている感じがする。
たとえばタイトル曲「グライスランド」。歌の内容はメンフィスのエルヴィスの家(グライスランド)が出てくるアメリカのお話。その音的アクセントとして、アフリカン・ビートがあしらわれているように聴こえる。
この人の第三世界の他の音楽(ペルーやジャマイカ)の取り入れ方も基本的には同じなのだろう。「音楽植民地主義者」と揶揄される所以が、たぶんそのへんにある。

誤解しないでほしいが、『グライスランド』が私にとってつまらないのは、これを作ったときのポール・サイモンの行動に問題があるからでは決してない。それは周辺の事情であって音楽の価値には直接関係ない。そうではなくて、このアルバムの内容そのものに何だかちぐはぐなものを感じ、その結果、さほどの魅力を感じないということなのだ。

さて悪口のようなことを書いていてもしょうがない。私はあの素晴らしい2枚をまた聴くことにしよう。

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