2012年7月11日水曜日

東京散歩「六本木から海を見に行く」 六本木から芝公園を通って竹芝ふ頭へ

 梅雨の晴れ間の一日、六本木の国立新美術館に展覧会(「具体」―ニッポンの前衛 18年の軌跡)を観に出かけた。一時半頃に観終えてロビーで休憩する。
例によって今日もこれから街歩きの予定だ。今日はここから東へ東へと歩いていって東京湾に到り、海を見ようと考えている。
今日のコースは公園・庭園めぐりコースでもある。じつは私は公園・庭園の愛好家なのだ。途中で公園・庭園を四つほど巡る予定。

<六本木から麻布台>

美術館を出て東京ミッドタウンに向う。今日は天祖神社の前を通るショートカットの道を通る。まだ梅雨だというのに日差しが強い。持ってきた帽子を出してかぶった。
ミッドタウンの前を通っているのが外苑東通り。この通りを渡って、ミッドタウン・イーストのわきを通り、その裏手に向う。
ミッドタウンの裏は、ミッドタウン・ガーデンという公園になっている。その一画にあるという檜町公園が、今回、手始めに向っている場所だ。
ミッドタウンにはこれまでにも何回か来たことがある。裏手の公園も一度歩いてみたことがあった。起伏のある芝生が中心で、ところどころに遊具と木立が配置されている。その一画に檜町公園があることを後で知ったのだが、どこなのか思い当たらなかった。そこで、今回はあらためて確認してみようというわけだ。

檜町公園はミッドタウン・イーストの後ろのレジデンス棟の裏にあった。さほど大きくない池を囲む一画だ。ミッドタウン・ガーデンとの境界はよくわからない。
檜町公園は、元は長州藩の下屋敷があったところだという。この池がたぶんその名残なのだろう。周回する道があり、岸辺には木立や石が配され起伏も作ってある。しかし、かなり最近(ミッドタウン建設時?)にきれいに整備されたようで、どの程度昔の面影を伝えているかは疑問だ。
しかしとにかくうまく日陰が作ってあって快適ではある。岸辺の木陰にあるベンチや、水辺に面した建屋の中に、本を読んでいる人がたくさん目についた。静かな都会のひと時だ。
ところで、その人たちが読んでいるのは、タブレットではなく一人残らず紙の本だった。都会でも紙の本は今だ健在のようだ。

再び外苑東通りに戻り、六本木交差点方面に向かって歩いていく。
このへんは六本木の中心に当たるはずだが、道が狭くて歩きにくく、ごみごみしていて場末っぽい。渋谷もそうだが、東京のいわゆる盛り場というのは、私のような地方の人間には、どこもかしこも「場末」に見えてしまう。どこにも中心がない。でもこの街の常連達には、楽しいスポットがいっぱいあるんだろうな。

外苑東通りと六本木通りが交差する六本木の交差点を渡って、そのまままっすぐ歩いていく。
通りの左側には、ドンキホーテの手前まで、タイ、トルコ、インドなどのエスニック料理の店が軒を連ねている。どれもテイクアウト用のカウンターがあって、チープで開放的な雰囲気。スパイスの強い香りがミックスされてあたり一帯に漂っている。こういうのも「六本木的」なのかな。
どれか食べてみたい気持もあったのだが、何だか勝手がわからないのでパスする。

気がつくと歩いている正面の方向に東京タワーが見える。今日はこのまままっすぐ進んで、あの下を通る予定だ。
しばらく行くと通りの右側にアクシス・ビルがある。この中にあるアクシス・ギャラリーには、何回か来る機会があった。このビルの地階から2階にかけて続く生活雑貨のお店は、デザイン・ビルの中のお店だけあってセンスがよくて見ていてとても楽しい。

アクシス・ビルの前を通り過ぎると、すぐ飯倉片町の交差点だ。ここを渡って、さらにまっすぐ進んでいく。このへんは麻布台で、街の感じも少し変わる。ごちゃごちゃした感じがなくなって、大きな建物が多くなる。
交差点を渡った角が麻布小学校、その先が外務省の公館と外交資料館、そして結構大きい建物の麻布郵便局と続いている。通りの向かい側には、ロシア大使館がある。そういう建物を外側から眺めながら通り過ぎる。
そして程なく道は桜田通りにぶつかり、ずっと歩いてきた外苑東通りはここで終わりだ。

<芝公園と増上寺>

桜田通りを渡って、聖アンデレ教会の前を歩いていくともうそこは東京タワーのある一画だ。
東京タワーの前まで来て下から見上げる。とにかくでかい。しかし、富士山がそうであるように、きれいに見えるのはやっぱり遠くから見たときだ。こんなにま近に寄って見上げると、即物的で何だかこれが東京タワーだという実感がわかない。
昇ってみようかなという気持もあったが、入り口付近がけっこう混んでいるように見えたのでやめることにした。スカイ・ツリーによるタワー・ブームの影響なのだろうか。

東京タワーのすぐ前の樹木に覆われた緑地帯の中に入る。ここは芝公園の一部で、もみじ谷というらしい。木陰の中に入ると、これまで歩いて来た炎天下の都会とはまったくの別世界だ。
人工的に作られた渓谷に沿って散策路がある。樹陰も深く、お地蔵さんがあったり、せせらぎを飛び石で渡る箇所や小さな滝まであってとてもよくできている。
せせらぎに沿って端まで歩き、そこから通りの向かい側の宝珠院側に道を渡る。

芝公園はとにかく広い公園だ。しかも、まん中に増上寺の広い境内と、それからなぜかホテルがふたつもあり、それを囲むようにリング状に続いているので、何だか取りとめがない。
とりあえず伊能忠敬の記念碑とか東照宮のある南側の部分に行ってみる。
表示にしたがって小山を登っていくと小高い開けた場所に伊能忠敬の記念碑があった。あの脅威の全国徒歩測量の基点がここ(厳密にはこの近く)なのだとか。その偉業にあやかりたいと手を合わせて拝むつもりでやって来たのだが、その碑はわりと新しくて安っぽいものだった。後で調べたところ、明治時代に建てられた碑が戦災で失われたため、昭和40年に新しいデザインで再建されたとのこと。このデザインじゃあ拝む気にもなれません。
隣の芝東照宮にお参りし、その南の梅林の中をしばらく散策する。地図で見るとたしか、このあたりに丸山古墳というのがあるはず。表示にしたがってそちらの方に歩いていくと、その先にはさっきの伊能忠敬の小山が…。なんと、さっき知らないで登ったあの山が、丸山古墳だったのだ。

だいたい芝公園の様子もわかったので、今度は増上寺の境内をのぞいてみることにする。
しかし、何か相当大きなお葬式があるらしく、本殿の前には大きなテントが設営中で、関係者があちこちにいてあわただしい雰囲気。落ち着かないので、境内をぐるっと巡って早々に退散する。
しかし、徳川家の菩提寺だけあって、とにかくその広いことと大きいことには感心する。増上寺で思い出すのは、落語「芝浜」に出てくる時を知らせる鐘の音だ。それから、昨年、江戸東京博物館で見た、この寺所蔵の狩野一信の五百羅漢図も印象深い。やっぱりたいしたお寺なんだなあと感じ入る。

<芝離宮庭園から竹芝ふ頭公園へ>

増上寺の正面の大きな門(なるほど「大門」だ)をくぐって、大門通りをふたたび東へ向って歩き始める。
世界貿易センタービルの前を通り、山手線の浜松町駅を通り過ぎる、大門通りはここから名前が変わって竹芝通りとなるらしい。
浜松町の駅を越えるとすぐ右側に旧芝離宮恩賜庭園の入り口がある。
じつは庭園愛好家としては、本日のコース中でここがいちばんだいじな目的地なのだ。ここはもともと小田原藩の上屋敷として作られ、明治になって宮内省が買い上げて離宮となったところだ。「江戸最古の大名庭園」というのが、運営する都のつけたキャッチ・フレーズだ。

受付を通って園内に足を踏み入れる。どうしても至近にある広大な浜離宮庭園が思い浮かび比較してしまう。あちらに比べれば、こぢんまりとした印象だ。しかしゆっくりと中央の池の周りを巡っていくと、変化に富んだとてもよくできた庭園であることがわかる。
堤を通って渡る島があったり、園内を一望できる小山が築かれていたりと、狭いながら起伏が豊か。また四本の石柱に囲まれた不可思議な空間(茶室の跡)や、奇岩をあしらった小山など見所も多い。しかもこれは多少思い込みかあるせいかもしれないが、全体に奇を衒い過ぎない抑制の効いた上品な感じがある。
これはここだけに限らないのだが、公園の周囲を見回すと高層ビルがいくつも立ち並んでいる。このビルの狭間にある緑の空間という取り合わせも、私にはとても面白く感じられる。
江戸の風情を満喫して、庭園を後にする。

竹芝通りに戻り、東に向う。すぐ首都高の下をくぐり、ゆりかもめの下をくぐると、そこは竹芝ふ頭だ。
半円の広場の真ん中に帆船のマストが立つエントランスを抜けて、階段を上がると東京港を見渡せるデッキ・スペースがある。これが竹芝ふ頭公園だ。
水平線は残念ながら見えない。正面には海を挟んで、豊海の埋立地。ずっと右の方にレインボーブリッジが見える。
時間は午後四時、歩き始めてから約二時間半だ。めいっぱい歩いたわけではないからへとへとというほどではないが、さすがにちょっと疲れている。
日陰のベンチに座って、港の風景を眺めながら、コンビニで買ってきた缶ビールをゆっくりと飲んだ。海を渡る風が、くたびれた体に心地よかった。

今日の巡ってきた場所を思い返してみる。檜町公園、芝公園、芝離宮庭園、そしてこの竹芝ふ頭公園。みんなそれぞれに違った個性を持っている。盛りだくさんのいい散歩ができたと満足。
しばらく休憩した後、すぐ近くの竹芝駅からゆりかもめに乗って新橋まで行き、山手線に乗って帰った。

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