2013年10月9日水曜日

クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング ゆるやかな集合体として


ハード・ロック&プログレ少年だった私が、間違ってクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの『4ウェイ・ストリート』を買ってしまったのだ。
だから、レコードに針を落として流れてきたアコースティック・サウンドを耳にしたときには、ひどくがっかりした。大枚はたいた2枚組だというのに大ハズレ。レコード盤を裏返しても、どこまでも軟弱なサウンドが続いている。しかし、2枚目からはエレクトリック・サイドなので、少し気を取り直したのだった。1970年代の初めのことだ。

しかしその後何回も聴き込むにつれて、私はどんどんこのアルバムに引き込まれていった。それもエレクトリックの2枚目よりも、アコースティックの1枚目の方が断然好きになった。当時の私の周りにいたハード・ロック少年たちもレッド・ツェッペリンを聴く一方で、みんなCSNYが好きだった。このグループには、何か特別の魅力があったにちがいない。
ちなみにレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジとロバート・プラントもCSNYのファンだったことは有名だ。

クロスビー、スティルス&ナッシュのファースト・アルバム『クロスビー、スティルス&ナッシュ』は1969年の6月に発表された。このアルバムは、チャートの6位まで上がるヒットを記録し、彼らは一躍人気グループとなる。
アルバムの発表後、さらにニール・ヤングをメンバーに加えて、7月にニューヨークのフィルモア・イーストでステージ・デヴューし、8月にはあの伝説的なウッドストック・フェスに出演、その後も欧米を巡るツアーを行うなど、精力的にライヴ活動を行っている。
そしてその翌年1970年の3月にリリースされたのが『デジャ・ヴ』だった。このアルバムは、発売前の予約だけで200万枚を突破するという大ヒットとなった。

このグループが、登場と同時にたちまち人気を集め、熱狂的に支持されたのはなぜだろう。
もちろんよく言われるように、それぞれバーズ、バッファロー・スプリングフィールド、ホリーズという有名バンドのメンバーだった3人が、新たに結成した「スーパー・グループ」という話題性もあったろう。しかし、その人気の最大の要因は、彼らの音楽スタイルと音楽性によることは明らかだ。
アコースティック・ギターにのせて歌われる美しく力強いコーラスは、まったく斬新で画期的なものだった。またそれは、さわやかであると同時に、ときおり内省的な陰影も感じさせた。そのような彼らの音楽性が、時代の気分にぴったりと一致したのではないかと思う。


<斬新な音楽性>

では彼らのハーモニーはどのようにして生まれたのか。
グループ結成の有名なエピソードがある。
9686月のある日、ジョニ・ミッチェルの家(またはママス&パパスのキャス・エリオットの家とも言われている)に遊びに来ていたデヴィッド・クロスビーとスティーヴン・スティルスが、気まぐれに二人で「ユー・ドント・ハフ・トゥー・クライ」をコーラスしたのだという。
このときたまたまそこにイギリスから来ていたグレアム・ナッシュが居合わせた。二人の歌を聴いていたナッシュが、第三のコーラス・パートを思いついて一緒に歌ってみたところ、そこに生まれたハーモニーの素晴らしさに彼ら自身も驚いたというのだ。何だか、にわかには信じ難い話だ。ともかくこれが発端となって、グループが結成されたのだという。
ナッシュって作る曲は単純で内容も軽いから、私的にはあまり高く評価していないのだが、CSNのサウンド面では意外な貢献をしていたというわけだ。

1968年の12月に行われたCSNとしての初めて録音で、この「ユー・ドント・ハフ・トゥー・クライ」が歌われている。その後1991年に発売されたボックス・セット『CSN』で、このときの録音を聴くことができる。ファースト・アルバムに収められたヴァージョンに比べるとデモ的だが、その分リード・ヴォーカルなしで歌われる3声のハーモニーの繊細な美しさと力強い張りが際立っている。その意味で、このグループの音楽の魅力の全てが、すでにここにあると言えるだろう。

CSNのファースト・アルバム『クロスビー、スティルス&ナッシュ』は、CSNの3人がそれぞれ持ち寄った曲を、コーラスによって展開した曲集と言うことができる。アルバムの全体は、コーラス・ハーモニーの響きと、アコースティック・ギター・サウンドの大幅な導入によって、きちんとした統一感を持っている。
それをまとめあげたスティーヴン・スティルスの音楽的な貢献度はとても高い。スティルスはマルチ・プレイヤーとして、ドラムス以外のほとんどすべての楽器を演奏している。特に、オルガンとベースのプレイが独特で、軽快で明るい音色のトーンでアルバム全体をうまくまとめている。


<自由な個人の集合体というイメージ>

CSNYが、登場と同時に大きな支持を集めた背景には、これまで述べてきた彼らの斬新な音楽性の他に、もう一つ理由がある。それは、彼らのグループ・イメージの魅力だ。彼らは、従来のバンドとは全然違っていた。お互いを束縛したり拘束したりしない自由な個人の集合体なのだ。そしてそのことをいわばひとつの売りにもしていた。今で言えば「ユニット」という考え方だ。そのようなグループのあり方が、当時の人々に強く支持されたのだ。

『レコード・コレクターズ』誌19922月号のCSNY特集で、小林慎一郎は、ウッドストックとの関係で、彼らのそんなグループ・イメージにつて述べている。
1968年の8月にウッドストック・フェスが開かれた。そしてその翌年1970年に、この歴史的な音楽イヴェントを記録した映画『ウッドストック』が公開される。この映画においてCSNYの扱いが他の出演グループと比べて別格であり、CSNYがこのイヴェントのイメージ・シンボルとして位置づけられていたことを小林は指摘している(小林「ウッドストック世代の精神を象徴した4人組」)。

たしかに映画『ウッドストック』でのCSNYの扱いは特別だ。演奏シーンそのものは「組曲;青い眼のジュディ」1曲のみだが、その他にCSNYの曲が4曲も使われている(ディレクターズ・カット版)。
まず冒頭近くの会場の準備をしているシーンのバックで、「ロング・タイム・ゴーン」と「木の舟」が流れる。そして、最後のエンド・ロールでは、エンディング・テーマとして「ウッド・ストック」と「自由の値」が使われているのだ。
「ロング・タイム・ゴーン」と「木の舟」と「ウッドストック」の3曲は、ライヴではなくスタジオ・ヴァージョン。オリジナル・アルバム収録のものとは別テイクのようにも聴こえる。とくに「ウッドストック」のニール・ヤングのギターはかなり違う印象だ。しかしあるいはミックスが違うだけなのかもしれない。「自由の値」は、たぶんこのイヴェントでのライヴ・テイクだと思う。

でもこのときにライヴで演奏した曲は、なぜそのライヴ・テイクを使わなかったのだろう。映画冒頭の「ロング・タイム・ゴーン」と「木の舟」の間には、キャンド・ヒートの「ゴーイング・アップ・ザ・カントリー」が流れるのだが、これはちゃんとこのときのライヴ・テイクをそのまま使っていた。
CSNYの曲のライヴ・テイクを使わなかったのは、一説には、演奏の出来がよくなかったので、とくにニール・ヤングが反対したためとも言われている。しかし最初に出たウッドストックのオムニバス・アルバムで聴ける「木の舟」の演奏なんかは、なかなかの名演だと私は思っているのだが。

因習や形式にとらわれたり、束縛されることを否定し、人間本来の生き方に帰るというのがヒッピー・ムーヴメントの考え方である。それはまたウッドストックというイヴェントの背景にある考え方でもあった。
個人を尊重し互いに束縛しあわないゆるやかな集合としてのCSNYは、まさにそんなウッドストック世代の精神のシンボル的な存在であり、だからこそこの映画でもイメージ・リーダーとして扱われていたというわけだ。


<ニール・ヤング加入のナゾ>

CSNYのファンにとって、CSNへのニール・ヤングの加入は永遠のナゾだ。バッファロー・スプリングフィールド時代に幾度も自分と対立を繰り返してきたニール・ヤングを、スティルスはなぜあえてグループに迎え入れたのだろうか。
いろいろな説があるらしい。一般的にはライヴでの演奏面とコーラス面の強化をはかるためだったと言われている。しかし、この解釈に私はまったく納得できない。

演奏面での不安はたしかにあったはずだ。
『クロスビー、スティルス&ナッシュ』では、スティルスが一人でいろいろな楽器を弾いて音を重ねていた。これをライヴの場で再現するのには無理がある。しかし、それならベーシストとしてグレッグ・リーヴスを起用したように、ギタリストもサポート・メンバーを補充すればすむ事ではないのか。新たにCSNという主要メンバーのワクを拡大する必要まではなかったはずだ。
追加メンバーとしてエリック・クラプトンやスティーヴ・ウィンウッドやジョージ・ハリソンを誘ったが断られたというウワサ(本当かよ)もある。しかしライヴのための補強ということであれば、そんな大物でなくとも無名のプレイヤーで十分だろう。

またコーラス面の補強という理由もヘンだ。『クロスビー、スティルス&ナッシュ』の曲は、もともと3声のハーモニーだ。ライヴだからといって補強の必要がそもそもあるのか。
それにヤング加入以降の録音でも、彼がコーラスに参加していない曲はたくさんある。「キャリー・オン」とか「ティーチ・ユア・チルドレン」とか「デジャ・ヴ」とか…、どれもコーラスはニール・ヤング抜きだ。

もしニール・ヤングを入れる必要性があったとすれば、それはライヴがどうこうということではなくて、自分たちの音楽性そのものの幅を広げるためだったのではないのだろうか。そのためにスティルスは、もうひとつの強い個性をメンバーに加えようと考えたのではないのか。
スティルスは、音楽的な天性の面でニール・ヤングに対して強いコンプレックスを抱いていたという(前出の小林慎一郎「ウッドストック世代の…」での指摘)。バッファロー時代に対立したニール・ヤングを、あえてグループに迎えたのは、スティルスがヤングの才能を高く評価していたからとしか思えない。

ニール・ヤングのギターは、超個性的だ。ワイルドといえばワイルドだが、要するに手クセだけで弾いている感じもする。正直言って上手いんだかヘタなんだかよくわからない。テクニック的な面でみれば、スティルスの方が数段上だろう。
ただニール・ヤングのギターには、感情がむき出しにされているような迫力がある。破天荒ゆえの強い表現力。同じことがギターだけではなく、ニール・ヤングの音楽そのものについても言えるだろう。
スティルスはそのような点で、自分にないものをヤングに感じていたにちがいない。ヤングの才能をきちんと評価し、確執を越えてグループに迎え入れたスティルスの判断は、ミュージシャンとしてやはりエラいと思う。
しかし、そのことが、このグループを短命に終わらせることにつながったこともまちがいないのだが…。

個人を尊重し互いに束縛しあわないゆるやかな集合体としてのCSNY。それはヒッピー・ムーヴメントの、そしてウッドストック世代の理想のシンボルであった。
しかし、CSNYは、個人のエゴや自己主張の衝突によって、あっという間に崩壊してしまう。しかしそれもまたウッドストック世代の理想の崩壊を、そのまま象徴していたのだった。
CSNYの音楽は、そんなもの悲しい気分とともに、私の中に生きている。

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