2014年2月19日水曜日

クロスビー、スティルス&ナッシュ 『クロスビー、スティルス&ナッシュ』


昨年(2013年)の後半、クロスビー、スティルス&ナッシュの関連アルバム9タイトルが初紙ジャケ化された。どうしようかいろいろ考えたのだが、結局この中から私が買ったのは1枚きり。『クロスビー、スティルス&ナッシュ』だけだった。
このアルバムは、CSN&Yの原点であり、ロック史上に燦然と輝く超名盤とされている。しかし、私はめったにこのアルバムを聴かない。CSN&Yのアルバムでは、やはり『4ウェイ・ストリート』や『デジャ・ヴ』の方に手が伸びてしまう。

CSN&Y(CS&Nも含む)の最高傑作は一般には『デジャ・ヴ』とされている。しかし私が一番好きなのは、『4ウェイ・ストリート』だ。そして、『デジャ・ヴ』よりも、この『4ウェイ・ストリート』こそ、彼らのベスト作だと思っている。
このライヴ・アルバムには、彼らの音楽の二つの面、すなわち内省的な面と躍動的な面の両方がぎっしりつまっている。そしてまた4人のメンバーの個性の違いが、鮮やかに浮き彫りにもされているのだ。何とかこのアルバムの紙ジャケ化も実現してほしいものだ。

それはともかく、『4ウェイ…』に比べると、このファースト・アルバム『クロスビー、スティルス&ナッシュ』は、線が細い印象で、音も薄くて軟弱に聴こえてしまう。
しかしあらためて考えてみると、『クロスビー、スティルス&ナッシュ』に収録されている曲の内、『4ウェイ…』で演奏されているのは3曲のみ(プラス「青い目のジュディ」の断片)。彼らの最大の魅力であるコーラス・ワークを前面に押し出した曲の数々は、やはり、このファースト・アルバムでしか聴けないのだった。
今回やっと紙ジャケ化されたことでもあるし、あらためてこのアルバムの魅力について考え、自分なりの感想を述べてみることにしよう。



<新しいグループ・イメージ>

クロスビー、スティルス&ナッシュ(以下CS&N)の結成は、1968年のこと。元バーズ(クロスビー)、元バッファロー・スプリングフィールド(スティルス)、元ホリーズ(ナッシュ)のメンバーによる「スーパー・グループ」ということで話題になる。
そして翌1969年の5月には、デヴュー・アルバム『クロスビー、スティルス&ナッシュ』が発表されるのだ。このアルバムは、チャートの6位まで上昇、200万枚を越える売り上げを記録している。デヴュー作としては、特大のヒットと言えるだろう。
しかし重要なのは、彼らが単に「スーパー・グループ」という話題性を越え、時代の精神を象徴する存在として、広く一般の支持を集めたということだろう。

彼らはふつうのロック・バンドとは、ちょっと様子が違っていた。ふつうのバンドといえば、ヴォーカルがいて、ギタリストがいて、ベーシストがいて、ドラマーがいて…、といった具合に楽器を分担して担当する人たちの集まりだ。ところが、CS&Nはそうではなかった。メンバーは3人とも歌を歌うのだが、このグループには、ベーシストもドラマーもいなかった。
デヴュー・アルバムの収録曲は全部で10曲。これらはメンバーの3人が、それぞれ持ち寄った曲だ。クロスビー作が2曲、スティルス作が4曲、ナッシュ作が3曲、それにクロスビーとスティルスの共作が1曲。つまり、彼ら3人は3人とも、まずソングライターであり、またシンガーであったのだ。「シンガー・ソングライター」という用語は、70年代になってからのものだが、さかのぼって使うなら、このグループはまさにシンガー・ソングライター・チームだったわけだ。

しかも、このグループの名前は、3人の名前を並列に並べただけのものだった。そういうグループ名は、彼らが最初というわけではない(S&G、とかPP&Mなんかもそうだ)。しかし、CS&Nの場合、この名前は、彼らがメンバー各人の個性を尊重する、ゆるやかな集合体である、というイメージを象徴するものとして少なからず受け止められたようだ。

個人を尊重する民主的な集合体という彼らの在り方は、当時の時代の空気がまさに求めていたものだったろう。
CS&Nはデヴュー・アルバム発表後、69年の月に、ウッドストック・フェスに参加している。翌年公開されたこのフェスの記録映画で、彼らはテーマ・ソングを歌うなど、このイヴェントの精神を象徴する存在として扱われていた。彼らの緩やかなグループ・イメージが、フェスの精神にぴったり重なっていたからだ。


<アルバム『クロスビー、スティルス&ナッシュ』について>

収録曲目は以下の10曲。

1 組曲:青い目のジュディ (Suite: Judy Blue Eyes
2 マラケシュ急行 (Marrakesh Express
3 グゥィニヴィア (Guinnevere
4 泣くことはないよ (You Don't Have To Cry
5 プリロード・ダウン (Pre-Road Downs
6 木の船 (Wooden Ships
7 島の女 (Lady Of The Island
8 どうにもならない望み (Helplessly Hoping
9 ロング・タイム・ゴーン (Long Time Gone
10 49のバイ・バイズ (49 Bye-Byes

クロスビー作が3と9、スティルス作が1,4,8,10、ナッシュ作が2,5,7、クロスビーとスティルスの共作が6。

このアルバムがロック史上に残る名盤であり、ここで聴ける彼らのコーラスやサウンドが、画期的なものであったとよく言われる。しかし、ではそれまでのロックとどこがどう違っていて、どう画期的なのか。そこをきちんと説明してくれている文章を、私は見たことがない。
むしろ一聴すると、軟弱な音である。「これのどこがそんなにスゴいのか?」。後追いで白紙の状態で聴く若いロック・ファンの中には、もしかするとそう感じる人もいるのではないだろうか。

当時リアル・タイムで聴いていた私達日本のロック少年の耳にも、彼らの音楽は、最初、何ともパッとしない中途半端な音としか聴こえなかった。これじゃあ、ただのフォーク・ロック、というか、ソフト・ロック(当時はまだこんな言葉は存在しなかったけれども)ではないか。「スーパー・グループ」という触れ込みに、少なくとも日本では、多くのロック・ファンが肩透かしをくったものだ。

彼らの音のどこがそんなにスゴイのか。私なりの考えをここで述べてみよう。
彼らの音楽が画期的だったのは、次の2点だ。ひとつは、彼らの斬新なコーラス・ワークであり、そしてもうひとつがエレクトリックではなくアコースティック・ギターをとことん中心にすえた音作りだ。

彼らのコーラスで特徴的なのは、3声が対等なハーモニーであることだ。どれかひとつが主旋律というのではない。しかもこのコーラスが、曲の最初から最後までヴォーカルをとる。つまりメイン・ヴォーカルがない(場合が多い)のだ。
このアルバムでは、「組曲:青い目のジュディ」や「泣くことはないよ」や「どうにもならない望み」などがそのよい例だ。
それまでのふつうのコーラスでは、まず主旋律があって、そこに他の声がハーモニーを付け加えていた。しかも、そのようなコーラスは、歌の全部ではなくて、部分的なものだった。
だからこの点で、CS&Nのコーラスは、画期的だったわけだ。しかも、彼らのこのコーラスは、シャープで、パワフルであり、十分にロック的でもあった。

そしてもうひとつ画期的なのが、アコースティック・ギター・サウンドを思い切って中心にすえた音作りだ。これは、おそらく彼らのユニークなコーラス・ワークを、前面にアピールするためでもあったろう。

アルバムの一曲目を飾る「組曲:青い目のジュディ」は、このアルバムの印象を決定付ける曲だ。
冒頭から清新なアコースティック・ギターが印象的だ。これにのって強力なコーラスが展開される。
伴奏には、ベースとエレクトリック・ギターも入っているが、ドラムスは入っていない。そのせいでかなりユニークというか不思議なサウンドに聴こえる。
ベースはフラットで、アコ・ギの音より下の低音部を補っているという感じ。エレ・ギは少し離れて、控えめにリズムとオブリガードを弾いている。アコ・ギがストロークになると単調なので、変化をつけているのだろう。
そしてリズムはアコ・ギのストロークでキープできるから、ドラムスはいらないわけだ。曲が二番目のパートに入ってテンポが落ち、アコ・ギのストロークがなくなったところで、ドラムスがおずおずと入ってくる。
すべてがアコースティック・ギターのサウンドと美しいコーラスを最大限にアピールするために意図されているのだ。

1991年に発売された4枚組のボックス・セット『CSN』には、「組曲:青い目のジュディ」の別ミックスが収録されている。このミックスには、最初のパートからドラムスが入っていて、印象がまったく違う。
つまり当初は、ドラムス入りのバンド・サウンドで演奏していたのだ。メンバー3人はもともとロック・バンド出身の人たちだから当然だ。しかし、最終の段階でこのドラムスの音をカットしたわけである。かなり思い切ったことをしたものだ。まあそのくらい、アコ・ギの音を重視しようとしたことになる。

またこのボックス・セット『CSN』には、「泣くことはないよ」の初期レコーディングも収録されている。CS&N結成のきっかけとなった曲だが、『クロスビー、スティルス&ナッシュ』では、3本のアコ・ギによるアコースティック・サウンドがにぎやかに空間を埋めている。
しかし、この初期ヴァージョンでは、左右でアコ・ギの代わりにエレクトリックのスライド・ギターが鳴っている。これが最終的にはアコ・ギに置き換えられたことがわかる。

さらにもうひとつ「どうにもならない望み」も、初めはバンド・スタイルでの演奏が試みられていた。『クロスビー、スティルス&ナッシュ』収録の最終ヴァージョンは、一本のアコ・ギによる伴奏と美しいコーラスのみのとてもシンプルな曲だ。
私の手元に『SESSION SELECTIONS』(2007年)というブートレグがある。ファースト・アルバム制作時のレア音源を集めたものだが、この中に「どうにもならない望み」のバンド・スタイルによるヴァージョンが収められているのである。
エレクトリックのスライド・ギター、ベース、ドラムスなどによるカントリー・タッチの演奏だ。最終のシンプルなヴァージョンを聴いた耳には、バンドの音によって、本来のコーラスの清々しい印象が薄められているような気がする。

「組曲:青い目のジュディ」や「泣くことはないよ」や「どうにもならない望み」は、メイン・ヴォーカルがなくてヴォーカル・パートが、コーラスだけによって展開する曲だ。このような曲については、今紹介したように、当初のバンド・スタイルでの演奏が、かなり思い切ってシンプルに、そしてアコースティックな方向に整理されていったことがわかる。

ただその一方で、バンド・スタイルの演奏を活かしている曲もある。2009年にライノから出た『deMOS』という初期CS&Nのデモ・テイク集がある。ここで聴ける「マラケシュ急行」や「ロング・タイム・ゴーン」のデモ・テイクは、きわめてシンプルで、かつ素晴らしいものだ。
つまらない曲と思っていた「マラケシュ急行」も、ナッシュのギター弾き語りで聴くと、ナイーヴな歌心が感じられてなかなか聴かせる。この2曲については、このシンプルなデモ・テイクの方を『クロスビー、スティルス&ナッシュ』に収録してもよかったのでは、とさえ思えてくる。
おそらくこの2曲のような、曲の提供者がメイン・ヴォーカルを取る曲については、音に厚みを得るためバンド・スタイルでの演奏を採って、他のシンプルな響きの曲とのバランスを計ろうとしたのかもしれない。

美しいコーラスとアコースティック・ギターの音を中心にすえたCS&Nのサウンドは、鮮やかで繊細で知的だ。
1960年代に生まれたロックという若い音楽は、当初さまざまな衝動や不満を、電気によって増幅された暴力的な音によって発散する音楽だった。しかし、そのロックが急速に成熟を遂げていく過程の中で、繊細で知的で内省的な音を求める動きが起こったのだと思う。時期的には1960年代から70年代への曲がり角あたりでのことだ。そのような時代の流れを、まさに体現したのがCS&Nだったということになるのだろう。

そしてこの流れはイーグルスやドクービーズなどのウエストコースト・サウンドや、ジェームス・テイラーなどのシンガー・ソングライターたちの音楽へと受け継がれていくことになる。
だから『クロスビー、スティルス&ナッシュ』は、そんなロックの時代の曲がり角に立つ、記念すべき道標のようなアルバムと言えるだろう。


<各曲についてのコメント>

1 組曲:青い目のジュディ (Suite: Judy Blue Eyes

CS&Nというグループと、このアルバムのイメージを決定付けた名曲だ。四つのパートからなる組曲になっているが、アコースティック・ギター・サウンドと強力なコーラス・ワークを中心に据えた演奏だ。
上にも書いたが、冒頭のパートからドラムレスのユニークなサウンドが聴こえる。
Friday evening, Sunday in the afternoon, …」という歌詞から2番目のパートに入りテンポガ落ちると、ドラムスが控えめに入ってくうる
楽器はほとんどスティルスがひとりで演奏しているので当然だが、良くも悪くもスティルス・サウンドが全開である。

4番目の最後のパートは、スペイン語(風?)のヴォーカルでキューバのことを歌っている(とスティルスは言っている)。何だか意味不明&意図不明だが、とにかくハンド・クラッピングのリズムと、コーラスの印象的なフレーズで押し切ってこの曲は終わる。

CS&Nの代表曲ではあるが、これはライヴ向きの曲でないこともたしか。映画『ウッドストック』で、CSN&Yの唯一の演奏シーンはこの曲だったのだが、あまりよい出来ではなかった。デリケートな作りで長い曲なのに、いつもいきなり一曲めにやるものだから調子が出ないのだと思う。
ライヴ・アルバム『4ウェイ・ストリート』では、この曲の最後のパートのエンディングのみの収録だった。あれはあれで、アルバムの印象的なオープニングになっていたけれど、ボーナス・トラックとしてもこの曲の全曲収録がないところをみると、もしかしてちゃんと出来たためしがなかったのかも…(?)。

2 マラケシュ急行 (Marrakesh Express

グレアム・ナッシュが、ホリーズ時代に書いた曲とのこと。このアルバムからシングル・カットされてヒットした。軽くてポップで内容はヒッピーだし、いかにもシングル・ヒットねらいの曲だ。それにしては、スティルスの弾く、エレクトリック・ギターのフレーズが、せわしない上に異様に甲高くて、ひどく耳ざわりな感じなのだが。
いずれにしても、べつにどうこう言うほどのこともない、つまらない曲と思っていた…。

ところがライノが出した『deMOS』(2009年)で聴けるこの曲のデモ・テイクは、なかなかに素晴らしい。ナッシュのアコ-スティック・ギターの弾き語りに、クロスビーがハーモニーをつけているシンプルな構成。軽快なテンポに流されることなく、ナッシュの歌心が伝わってくる味わい深い演奏だ。

3 グゥィニヴィア (Guinnevere

神秘的でクールなサウンドと、浮遊感のあるハーモニーによる曲展開。デイヴィッド・クロスビーの傑作だ。もっとも、彼の曲は、どれもみんな傑作なのだけれど。

ボックス・セット『CSN』には、この曲の初期のデモ・テイクが収録されている。クロスビーのアコースティック・ギターの弾き語りで、ベースをジェファーソン・エアプレンのジャック・キャサディが弾いている。
デモとはいえ、ほとんど曲の形は出来上がっている。コーラスはクロスビーが多重録音により自分の声でハーモニーを重ねている。シンプルでスピリチュアルな感触がさらに増していて、素晴らしい。

このアルバムのためのセッション音源を集めたブートレグ『SESSION SELECTIONS』では、エレクトリック・ギターにベースとドラムスの入ったこの曲のバンド・サウンドのヴァージョンが聴ける。この曲も当初はバンド・サウンドによる演奏が試みられていたわけだ。
ちなみに『クロスビー、スティルス&ナッシュ』の「マラケシュ急行」の前に入っているしゃべり声は、このバンド・クヴァージョンの前に発したクロスビーの声をはめ込んだものだということがわかる。

4 泣くことはないよ (You Don't Have To Cry

この曲ではアコースティック・ギターが大活躍だ。アコースティック・ギターと控えめなベースとタンブリンに加えて、さらに二本のアコ・ギが左右からつねにオブリガードを奏で続けている 
リード・ヴォーカルはなしで、美しいコーラスがつねにヴォーカルをとっている。まさに夢のような2分44秒の魔法の時間。
アコースティック・ギターのサウンドとコーラスを全面に出している点で、このアルバムのコンセプトをもっともよく示している曲だ

上にも書いたとおり、ボックス・セット『CSN』で聴ける初期のレコーディングでは、左右から聴こえるのはスティルスによるエレクトリックのスライド・ギター(一本の音を左右に振り分けている?)だった。これだと印象が全然違う。アコースティカルな最終ヴァージョンに到るまでには、いろいろと試行錯誤があったことがしのばれる。

ライノの『deMOS』では、この曲のスティルスによるアコースティック・ギター弾き語りが収録されている。渋くて味わい深いが、最終のコーラス・ヴァージョンのような「魔法」はまだない。

5 プリロード・ダウン (Pre-Road Downs

『4ウェイ・ストリート』のC面1曲めに入っているこの曲のライヴ・ヴァージョンは最高だ。アルバム・ヴァージョンのような浮ついたところがなく、腰を低く落としたタイトでワイルドな演奏。エレクトリック・セットの始まりを告げるにふさわしい活気を感じさせる曲だった。

それに比べるとこのオリジナルのアルバム・ヴァージョンは何とも中途半端。バンド・スタイルでの演奏だが、オルガンとドラムスがどうにも軽い。そしてナッシュの甘過ぎる高音ヴォイス。さらにはエレクトリック・ギターのテープ逆回転のようなふわふわしたヘンテコな音も意図不明。
いずれにしても曲そのものが平凡で魅力がない。ちなみにこのアルバムの10曲中、ボックス・セット『CSN』に選ばれなかったのは2曲のみ。その内の1曲がこの曲だった。なるほど納得だ。

6 木の船 (Wooden Ships

詞の一部を、ポール・カントナー(ジェファーソン・エアプレイン)とスティルスが書き、詞の残りと曲の全体をクロスビーが書いた曲。
映画『ウッドストック』のサウンド・トラック・アルバムでの白熱の演奏も思い出深い。

冒頭の弦をミュートしてのカウントからもう歌の世界が始まっている。冒頭すぐのストイックなギター・ソロ、そして滑らかなトーンに切り替えてのつぶやくようなエレ・ギのフレーズが印象的。
スティルスとクロスビーの対話のようなヴォーカルによって、神話的な世界が語られていく。
後半でコーラスの合間にテンポ・アップして何度か間奏がはさまれる。ここでのスティルスのギター・ソロが、何ともお粗末。フレーズが平板で凡庸だし、何と何箇所かでスケールからはみ出している 何で録り直さなかったのだろう。名曲なのに残念。

7 島の女 (Lady Of The Island

ナッシュのギター弾き語り。自身の弾く爪弾くようなアコースティック・ギターにのせて、ナッシュがささやくように歌う。中盤からクロスビーが控えめにハーモニーを添えている。
中間部で、二人のスキャットのフレーズが、戯れるように交錯するところは、まさに至福の瞬間。
ひと筆でさらっと書いたような、シンプルでイノセントな小品。結局ナッシュの曲の中では、これが一番好きだ。「マラケシュ急行」のデモを聴いたときも思ったが、ナッシュの歌はシンプルなアレンジが似合う。

8 どうにもならない望み (Helplessly Hoping

ヴォーカル・パートは、リード・ヴォーカルなしでコーラスのみの曲。楽器はアコースティック・ギター1本。「泣くことはないよ」と共に、CS&Nの音楽性をもっともよく表している曲。
リフレインの「…one person,two alone,three together,
…」と数え歌のように数を重ねていくところが、愛らしくて切ない。

ブートレッグ『SESSION SELECTIONS』では、エレクトリック・ギター、ベース、ドラムスというバンド・スタイルによる伴奏の入ったヴァージョンが聴けるが、あんまりよくない。

9 ロング・タイム・ゴーン (Long Time Gone

ロバート・ケネディが暗殺された夜に書いたというクロスビーの怒りの曲。クロスビーのヴォーカルは、神経がひりひりするような感じだ。しかしダークな曲調は、アグレッシヴというよりも、何かあきらめを感じさせるようでもある。最後に来て演奏はバラけて終わる。この中途半端な終わり方も、張りつめた感情が崩壊していくようで心に残る。

スティルスが一人でギター、オルガン、ベースを弾いている一人バンド・サウンドだが、ここでの演奏は他の曲でのような浮ついた感じがなくて良い。

ライノから出たデモ・テイク集『deMOS』(2009年)には、この曲のデモ・テイクが収録されているが、これがまた素晴らしい。
ヴォーカルは、クロスビーのみのソロでコーラスはなし。クロスビーのヴォーカルが突き刺さるように迫ってくる。
演奏は、アコースティック・ギターに加え、スティルスの弾くべースとドラムス。スティルがドラムスまで弾いているのだが、これがなかなかよい。ベースとドラムスは、『クロスビー、スティルス&ナッシュ』収録のヴァージョンとは違って、ちょっと粘りのあるリズムを刻んでいる。これとくらべると、アルバム版は、かなり平板に聴こえてしまう。

また『4ウェイ・ストリート』で聴けるこの曲のライヴ・ヴァージョンも印象的だ。ベースとドラムスが作り出すうねりに乗ってクロスビーの歌が痛切に響いてくる。このうねる感じは、ちょっとデモ・テイクの感じに似ている。
それから、このライヴ・ヴァージョンでは、ニール・ヤングが引いている例のゴツゴツしたフレーズの鬼気迫る轟音ギターも聴きどころだ。

10 49のバイ・バイズ (49 Bye-Byes

アルバムのラストに持ってきたくらいだから、スティルス当人は自信作なのだろう。彼のソロ・アルバムに入っていそうな、スティルス色全開の曲調だ。でもこれは彼のだめなところが出た駄作でしょう。メロディーがつまらないし、つまらないわりにだらだらと長い。

『4ウェイ・ストリート』では、「アメリカンズ・チルドレン」という曲とメドレーにして歌っていた。アクロバティックなピアノ弾き語りで、なかなか会場を盛り上げていた。もっとも盛り上がっていたのは「アメリカンズ・チルドレン」のときだったかな。


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