2012年4月20日金曜日

デヴィッド・シルヴィアン『ア・ヴィクティム・オブ・スターズ』

また久しぶりにCDを買った。今年になってこれでやっと3枚目。ほんとにお金使ってないな。
今回買ったのは、デヴィッド・シルヴィアンの新作コンピレーション・アルバム 『ア・ヴィクティム・オブ・スターズ 19822012』。国内盤は発売されていないので輸入盤で入手。
正直、買おうかどうかちょっと迷った。この人の主要なアルバムはだいたい持っているつもりだし、シングルも何枚かはある。それに以前出たコンピ『エブリシング・アンド・ナッシング』も持っているし。でも、やっぱり買った。
今回のアルバムは『エブリシング・アンド…』よりもベスト盤としてのコンセプトがすっきりしていて、この人の30年のキャリアがコンパクトに一望できる。そして、聴いていると、彼の音楽を聴いてきた私の30年の年月もまた一緒によみがえってきた。
アマゾンのこのアルバムのレヴューを見ると、「コア度」の高いファンが多いのがわかる。この人たちもみなそれぞれにシルヴィアンと生きてきたのだなと感慨がわいた。

デヴィッド・シルヴィアンは、80年代からずっと此の方、時流に流されることなく自分の音楽を一途に突き詰めてきた人だ。
誰もが「金」に踊らされ、流行の音を追いかけていった80年代以降の流れの中で、常に自分と向き合い良質な音楽を作り出すことに取り組んできた「仙人」のような存在だ。
そんな時代の中で、彼のような人に出会い、リアル・タイムでその音楽に接することができたのは、本当に幸せだったと思う。

ちなみに、ジャパンの他の残党たちも、それぞれに良い活動をしている。ジャンセン、バルビエリ、そして先年亡くなったミック・カーン(残念だ)。彼らのアルバムも私はずっと聴き続けてきた
しかしそんなミュージシャンとしてのあり方は、孤高であらざるを得ないし、活動も細々としたものになりがちだ。そしてとうとうシルヴィアンのアルバムも、国内盤の発売が見送りになるような事態(まだ決定かどうかは定かでないが)になろうとは…。

振り返れば後期のジャパンは本当に素晴らしいバンドだった。デヴュー時のヴィジュアル系ミーハー・バンドが、まさかこんなに「化ける」なんて。ねじれた東南アジア趣味と、うねるポリリズムと高踏的な詞。ほんとに、もうちょっと存続してほしかった。
今回のアルバムのディスク1の1曲目、ジャパン時代の曲「ゴウスツ」(ヴォーカルは2000年の再録)を聴いてそんなことを思った。

デヴィッド・シルヴィアンの活動は、私が興味を持っている他のいくつかの事柄や人物と不思議につながっていって、個人的には何だか因縁めいたものを(勝手に)感じたものである。
そのひとつは坂本龍一とのコラボ、もう一つはロバート・フリップとのコラボだ。坂本龍一は私にとってずっと気になる存在であったし、フリップのキング・クリムゾンは私がもっとも愛好するロックのバンドであった。私の中でシルヴィアンとはフィールドが全然違うと見えたこの二人が、それぞれにシルヴィアンと接点を持つとは、なんとも不思議な成り行きに思われたのだ。

坂本とのコラボ作は何曲か収められている(そういえば「ワールド・シチズン」がないぞ)、初期の「バンブー・ハウス」(ディスク1②)と「バンブー・ミュージック」(同③)などは、坂本龍一の音作りが全面に出ていて、その分今聴くとやや古臭い感じがしてしまう。これに対して他のシルヴィアンの曲は、もともと時代を超越していたからか、ジャパン時代の先に触れた「ゴウスツ」も含めてまったく古さを感じさせない。

フリップについては、初期のシルヴィアンのソロ・アルバムに客演するなどの接点はあった。それがついに、90年代クリムゾンの復活に当たって、シルヴィアンにヴォーカリストとしての参加を要請するにいたるのだ(フリップ自身はこの事実を認めていないが、シルヴィアンがインタヴューでそう言っていた)。
これは実現せず、かわりにフリップと二人でのコラボという形になった。クリムゾンのフロントにシルヴィアンが立つ。70年代のクリムゾン・ファンの誰が、当時そんな突飛な組み合わせを想像したろう。しかし90年代にもし実現していたとしたら、両者のファンである私には、いい意味で頭がクラクラするような光景だったはずだ。

もうひとつシルヴィアンが、私の興味とつながっていく不思議なご縁があって、それは彼と写真、および彼と藤原新也とのつながりだ。
デヴィッド・シルヴィアンはじつは一応「写真家」でもある。1984年に、『パースペクティヴズ』という写真集も出している。今回のCD『ア・ヴィクティム・オブ…』のデジ・パックの内側の写真のうちの1葉は、この写真集の後ろ表紙に掲載されているものだ(私の持っている洋書の場合、国内版では違うかもしれない。国内版が出たのかどうかは知らないけど)。
『パースペクティヴズ』の写真は、技法的にはデイヴィッド・ホックニーが発明したポラロイドのコラージュだ。ポラロイドならではの茫洋とした描写と、偏りのある柔らかな色彩が、いい味を出しているし、何より彼の音楽の世界と通じ合っている。

そして、シルヴィアンはその後、藤原新也と出会うことになる。
藤原新也は、私が最も敬愛する日本の写真家の一人だ。とくに1981年の写真+紀行集『全東洋街道』は、その前の雑誌連載中から強く引かれるものがあって愛読していた。その頃から私は自分でも趣味で写真を撮り始めるのだが、藤原のスタイルには強く影響を受けたものである。
 91年の『レイン・トゥリー・クロウ』のジャケットに、藤原の写真が使われているのを見て、この二人が知らないうちに接点を持っていたことに驚かされる。その後、99年の『デッド・ビーズ・オン・ア・ケイク』のインナーにも使用され、さらに200年の『エブリシング・アンド・ナッシング』では、デジ・パックの全面にわたって藤原の世界が展開されている。
藤原新也の撮る写真の東南アジア的なウエットな質感と、シルヴィアンのヨーロッパ的な感覚は、ちょっと見るとミスマッチのように見えて、しかし意外に深いところでマッチしている感じがあった。
折しも今日(2012年4月20日)から、東京中目黒でデヴィッド・シルヴィアンの写真展『グロウイング・エニグマズ』が開催されている。見に行ってみようかな。

今回のアルバムのディスク2枚に時代順に収められた全31曲を順に聴いていく。彼の音楽家としての活動の中で少なくない比率を占めるインスト曲はすべてカットし、歌モノばかりの既発30曲と新曲1曲という内容。
30年間を通じて彼の歌声の静謐な叙情はちっとも変わっていないことにあらためて気づかされる。しかし彼の曲の感触はしだいに「浮世離れ」の度を増していくのだ。
とくに2003年のアルバム『ブレミッシュ』がひとつの曲がり角になっていることがわかる。ミニマルな伴奏に寄り添われて浮遊するヴォーカル。こうして彼は、さらに「幽玄」の世界へ、「侘び寂び」の世界へと踏み入っていったのだ。
シルヴィアンのこうした社会からの浮遊の道筋は、また同時に我々を取り巻く世界が、混迷化を深めていくのと軌を一にしている。『ブレミッシュ』の世界が彼自身の個人的な生活の破綻(離婚とそれに伴う子供との別離など)を反映しているとはいえ、このアルバムの不安定な音空間を、2001年の911同時多発テロやその後に続く世界秩序の混乱と価値観の荒廃といった現実世界の不安と重ね合わせずに聴くことはできないだろう。
時代から超然としてそこにある世界。それは我々の救いでもある。

久しぶりに『ブリリアント・トゥリーズ』と『シークレット・オブ・ザ・ビーハイヴ』を聴きたくなった。
私の『マナフォン』は、何度か聴いた後CD棚のどこかに消えて行方不明である。いくらはかない音世界とはいえ…。はやく探さなくちゃ。

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