2013年2月25日月曜日

はっぴいえんど 『風街ろまん』

『風街ろまん』(1971)ははっぴいえんどのセカンド・アルバム。言わずと知れた名盤だ。
今聴いても完成度の高い、すみからすみまで神経の行き届いたアルバムだ。しかもユーモアと機知にあふれていて余裕すら感じさせる。

音的にはウエスト・コースト・ロックを本格的に消化して自分たちなりに再構築したこなれたサウンドだ。カントリー・フレイヴァーが随所に漂い、アコースティカルな楽器の割合も多め。それとピアノやオルガンなど鍵盤の使用も印象的だ。
松本隆の詞もこのアルバムで、いよいよ独自のスタイルを確立している。彼の書く詞の古風な日本語の多用と、抽象度の高い透明感のある叙情は、はっぴいえんどの曲のイメージを決定づけた。
アルバム全体としては、ノスタルジックな記憶の中の都市「風街」をテーマにした、ゆるやかなコンセプチュアル・アルバムの体裁をとっている。

アルバムのプロデュースはグループ名義になっているが、各曲ごとにプロデュースの担当を決めていて、歌詞カードにも明記してあるのが注目される。プロデュース担当者の表記は「PRODUCTION」となっている。まるでバッファロー・スプリングフィールドやCSNYのようなシステムだ。
基本的にはその曲の作曲者がプロダクションしているのだが、細野晴臣作曲の「あしたてんきになあれ」が細野と鈴木茂の連名、鈴木作曲の「花いちもんめ」が鈴木と林立夫の連名になっているのが目を引く。

これはつまり「合議制」ではなく、作曲した当人が自分の思うとおりに曲を仕上げているということだ。そして他のメンバーもそれに従うというわけだ。その結果、曲によってはメンバーの全員が参加していない曲もある。
たとえば、彼らの代表曲で細野作の「風をあつめて」は、ドラムの松本以外は細野がすべての楽器を演奏しヴォーカルも取っている。大瀧詠一と鈴木は参加していないのだ。
この他、鈴木は「空色のくれよん」と「暗闇坂むささび変化」にも参加していない。ロバート・フリップが言うところの「名誉ある沈黙」というやつだ。しかし一方で鈴木が参加した曲では、随所でじつにツボを心得たプレイを聴かせているところが何ともニクい。
このようなシステムが功を奏して、このアルバムは素晴らしい完成度を獲得したし、またメンバーの各人も十分な達成感を得ることが出来たのではないかと思われる。やりたいことをやりきったという感じは、聴いている方にも伝わってくる。そしてそれが解散へとつながっていくのではあるが。

しかもなおアルバム全体としてソロ作の寄せ集めのようにはならず、それぞれの曲が「はっぴいえんど色」を保っていて、アルバムのコンセプトの内に収まっているのは見事だ。このときのはっぴいえんどは、個を尊重しつつグループとしての一体感も失わないという、まさに理想的な状態にあったのだろう。

このアルバムに収められているいくつかの曲について、現在ではその初期のヴァージョンもしくはプロトタイプを聴くことができる
たとえば「風をあつめて」は、前作『ゆでめん』録音時のリハーサル・テイクで、タイトルも「手紙」となっていた頃の録音がある(『はっぴいえんどBOXDISC1などに収録)。
「暗闇坂むささび変化」は、アルバム録音の直前だが、全然違う形で演奏していた「ももんが」という曲をライヴ音源で聴ける(『LIVE ON STAGE』に収録)。
はいからはくち」は、アルバム録音の数ヶ月以上前に録音した シングル・ヴァージョンや『CITY』ヴァージョン、さらに初期のライヴ音源などで、アルバムとは違うアレンジの初期の・ヴァージョンを聴くことができる。
さらに「夏なんです」は、アルバム録音の数ヶ月前のまったく違うアレンジのリハーサル・テイクがある(『はっぴいえんどBOXDISC2に収録)。

これらの新旧のヴァージョンを聞き比べると、そのあまりの違いに驚かされる。とくに「風をあつめて」のプロトタイプ「手紙」や「夏なんです」のリハーサル・テイクは、どうみても凡庸だ。これらの初期ヴァージョンの延長線の先に、アルバム・ヴァージョンがあるとは到底信じられない。何かマジックが起きて、別次元にジャンプしたかのようだ。
アルバム・ヴァージョンでは、詞と曲が立体的に一体のものとなり、透明な歌の世界が生まれている。
つまりは松本の詞の成熟があり、メンバーの曲作りも急速に進化し、そしてスタジオ・ワークにも習熟して、その結果このアルバム制作の現場で「マジック」が起きたということなのだろう。

以下、各曲の感想など。

「抱きしめたい」
都市がテーマのこのアルバムは、なぜか田舎の歌から始まる。
機関車のリズムを模したミディアムの落ち着いたテンポ。それに乗って這うようにうねりながら低音を埋める細野のベース、渋い鈴木のギター・プレイ、ブリッジ部分のイコライジング処理、そしてラストで饒舌に語りだす松本のドラム等々聴き所がいっぱい。試行錯誤の前作とは打って変わって、じつに確信に満ちた演奏ぶりだ。

「空色のくれよん」
カッコわるいカントリー・ヨーデルを歌う大瀧のカッコよさ。

「風をあつめて」
ジェームス・テイラーを参照した細野の平板でフラットな歌唱法が確立されている。そんなヴォーカルとダブルのアコースティック・ギターとオルガンが作り出すクールなサウンドが、松本の詞の透明な詩情と見事にマッチしている。

後にこの曲はソフィー・コッポラ監督の映画『ロスト・イン・トランスレーション』のエンディング・テーマとして使われた。
『ロスト…』は良い映画だ。都会の中の身の置き所のなさ、ぼんやりとした孤独感、そしてたまたま隣り合わせた人間とのほのかな心の揺らぎ。そういったものが新鮮な感覚でデリケートに描かれていた。ソフィー・コッポラの才能をあらためて見直した一本だった。
映画に使われている音楽は、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインなどハイセンスだが私には縁が遠いものばかり。そんな中、エンド・ロールで、はっぴいえんどの「風をあつめて」が流れてきたときはちょっとじーんときた。この映画で描かれている醒めた都会の孤独感に、この曲の冷ややかな叙情がぴったりだったからだ。

「暗闇坂むささび変化
初めてこの曲を聴いてから30年後のこと、六本木の交差点から麻布十番に向って歩いているとき、暗闇坂の前を通りかかった。
「ああ、ここがあの『ももんが』の坂か…」と、しばらくそこに立ち止まって感慨にふけった。頭の中でこの曲が鳴っていた。
いったい何人の人がここでこうやって立ち止まったことだろう。

「はいからはくち」
ワイルドな曲でビートルズにおける「バースデイ」にあたる。
一応、曲のテーマは、欧米の文化(「はいから」)に振り回される自分たちも含めた日本人(「はくち」)への批評なのだろう。だがそんな理屈を越えて、もうそのようにしか生きられない苛立ちをぶつけたようなる歌いっぷりと演奏だ。冒頭からアグレッシヴなフレーズを聴かせる鈴木のギターが良い。

お囃子のイントロ、多羅尾伴内のナレーション、パーカッション類の導入、ドラムのソロ・パートなど、ワイルドな曲ながら細かいところまで丹念に作り込まれている。シングル・ヴァージョンよりずっとめりはりがきいている。

「はいから・びゅーちふる」
「はいからはくち」のエンディングのような短い曲。
「なぜここにこうした冗談のようなトラックが収められたのか」という志田歩のあらためての検討が興味深い(「はっぴいえんど全曲ガイド」『はっぴいな日々』レコード・コレクターズ8月増刊号 2000年 p.107)。
志田はその理由をふたつ挙げる。ひとつは「はいからはくち」で「シリアスな問題提起をあまりにもカッコよくやってしまったことへの照れ」。つまり頭をかきながら「ナンチャッテッ」て感じかな。
もうひとつは、「ロックンローラーというワクに収まりきることのできない大瀧の作家性の発露」だというのだ。
こう考えると大瀧のシリアスでありながらコミカルでもある作風も何となく合点がいく。と同時にこの二つの性向が、大瀧のみならずはっぴいえんどの4人にも共通していると考えれば、このアルバム全体に漂う遊びとユーモアの感覚も納得できるような気がする。

「夏なんです」
これも「風をあつめて」と同じくジェームス・テイラー・スタイルの平板&クールな細野のヴォーカルだ。繰り返される「なんです」という言い回しも印象的。
「ぎんぎんぎらぎらの…」と歌っているわりには、ひんやりした演奏だ。現実のというより想像された記憶の中の夏、いわばガラス瓶の中の夏の情景が歌われている。だから誰にも同じように懐かしく、また愛おしいのだろう。

「花いちもんめ」
はっぴいえんどのジョージ・ハリソン、「ダークホース」鈴木茂の作曲&ヴォーカルデヴュー作。それがいきなりはっぴいえんどの代表作になってしまった。ジョージ・ハリソンばりの線の細いフラットなヴォーカルが、松本の詞にマッチしている。
この曲は「風をあつめて」とともに、このアルバムの「記憶の中のノスタルジックな都市」というコンセプトをもっともよく反映した曲でもある。
ただし3番目のヴァースの歌詞(「みんな妙に怒りっぽいみたい」)は、過去のことなのだろうか、それとも現在のことなのだろうか。

「あしたてんきになあれ」
細野の小技。

「颱風」
コミカルさとカッコよさがミックスされたやはり名曲。
とにかく大瀧のパフォーマーぶりが最高にカッコいい。不自然で強引な音節の区切り方、途中のブレイク(「休憩」)やラストのナレーション(「何、風速40メートル」)まで大瀧のユーモア・センスが全開だ。ワウを効かせた鈴木のギターもよい。

「春らんまん」
カントリーっぽい曲調、アコースティック・ギター、全編ハーモニーによるヴォーカルなどCSN&Yを思わせる。
ライヴでは、エンディングのマンドリン伴奏のパートが、曲の頭で演奏されていた(『LIVE ON STAGE』で聴ける)。

「愛餓を」
『アビー・ロード』の「ハー・マジェスティ」にあたる曲。お見事。

このアルバムはLPではA面が「風」サイド、B面が「街」サイドと名付けられていた。たぶんこの両面は対応するように意図されている。どちらも田舎の歌(A面は「抱きしめたい」、B面は「夏なんです」)で始まり、コミカル・ソング(A面は「はいから・びゅーちふる」、B面は「愛餓を」)で終わっているのも、たぶんそのためでは?。

ところで、はっぴいえんど解散後の1973年に『CITY』というベスト・アルバムが出た。『風街ろまん』からは、これに次の5曲が選ばれている。
「抱きしめたい」、「風をあつめて」、「はいからはくち」(アルバムとは別ヴァージョン)、「夏なんです」、「花いちもんめ」
この選曲にまったく異論はない。いずれもはっぴいえんどを代表する名曲だ。曲のクオリティ本位で選んだなら、これ以外にまず選びようがないだろう。しかしである、こうして名曲ばかりを抜き出して並べてみても、何となく物足りなさが残るのだ。

ここで選ばれなかった『風街ろまん』の残りの曲を並べてみよう。
「空いろのくれよん」、「暗闇坂むささび変化」、「はいから・びゅーちふる」、「あしたてんきになあれ」、「颱風」、「春らんまん」、「愛餓を」の7曲だ。
比較的短めのものが多くて、どれもユーモラスないしはコミカルな曲だ。言ってみればお遊びのような、つなぎのような、おまけのような曲ということになるかもしれない。
 しかしあらためて見てみると、これら選ばれなかった曲たちが、このアルバムの自由で開かれた空気感を醸し出していることに気がつく。そしてこの空気感こそが『風街ろまん』というアルバムの大きな魅力なのだ。

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