2013年10月9日水曜日

クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング 『デジャ・ヴ(Déjà vu)』


<『デジャ・ヴ』というアルバムのバラバラ感>

CSNCSNYは、合計3枚のアルバムを残した。面白いことに、この3枚は、それぞれまったく個性の違うアルバムになっている。私は何といっても3作目のライヴ2枚組『4ウェイ・ストリート』がいちばん好きだ。ライヴならではのピリピリと張りつめた緊張感と躍動感がたまらない。賛同してくれる人は少ないけれど、このグループの最高作は断然このライヴ盤だと思っている。
ファースト・アルバムは、繊細でさわやかで軽快。きれいにまとまっている1枚だ。そして一般的には、このグループの最高傑作であり、ロックの歴史の上でも名盤のひとつに数えられているのが2作目の『デジャ・ヴ』ということになる。

私も『デジャ・ヴ』はいいアルバムだと思う。名曲が詰まっているし、私なりの強い愛着もある。しかし、このアルバムが何とも不思議なアルバムであることもたしかだ。
ジャケットのセピア色の写真がバンドのイメージを強調しているにもかかわらず、中身はまるでバラバラなのだ。このアルバムについてのコメントには、つねに「前作の方がまとまりはよい」という一言が添えられている。
『レコード・コレクターズ』誌19922月号CSNY特集のアルバム評で萩原健太は、このアルバムを次のように言い切っている。すなわち、「4人のソロ・アーティストがそれぞれ自分の作品を数曲ずつ持ち寄り、それぞれのやり方で主導権を握りつつレコーディングしたオムニバスアルバム」だと。

しかもなおこのアルバムをCSNYというひとつのグループの音としてくくっているものがはたしてあるのだろうか。
とりあえずオープニングの「キャリー・オン」(スティーヴン・スティルス作)と、ラストの「エヴリバディ・アイ・ラブ・ユー」(スティルスとニール・ヤングの共作)だけは、リード・ヴォーカルなしの強力なコーラスで、このグループの特徴を全面に打ち出している。アコースティック・ギターと力強いコーラスが中心だ。
しかしその間にはさまれた曲のかずかずの曲調はまちまち。コーラス・ハーモニーが添えられている点が、かろうじて共通項とも見える。しかし、コーラスなしの「カット・マイ・ヘア」や、さらに完全にスティルスが一人で弾き語りしている「4+20」なんかもある。
まさにオムニバス・アルバムだ。ウェブ上では、このアルバムの中でとりわけニール・ヤングの曲が異質だとか、浮いているという感想が目に付いた。けれども他の曲についても、ほとんど大同小異だろう。
そんなバラバラな感じを認めつつも、われわれはこのアルバムを愛してきたのだった。

しかし時を経て今振り返ると、このバラバラ感はじつはわざとやっていたことではないかとも思えてくるのだ。というのが言い過ぎなら、バラバラになってしまったけれども、あえてそのままにしたのではないかと。
なぜなら前回にも書いたように、彼らがこれまでのバンドとは全然違うあり方、すなわちお互いを束縛しないで尊重しあう「自由な個人の集合体」というグループ・イメージを、いわば売りにしていたからだ。当時の彼らに対する圧倒的な支持の幾割かは、確実にこのグループ・イメージによるものであった。そんなグループのアルバムとして、『デジャ・ヴ』のバラバラ感は十分に許容され得るものだったのではないか。いやむしろその方が、メンバー各人の個性の違いが際立って、グループ・イメージに相応しいとさえ言えたかもしれない。

だが不思議なことがある。このアルバムを聴いてその中のいずれかの曲に感動したとする。当然その曲の作者に興味がわく。もっとその作者の曲を聴きたくなる。しかし、『デジャ・ヴ』には、各メンバーの曲が2曲ずつしか入っていない。そこで、ソロ・アルバムに手を出してみる。しかし、クロスビーもスティルスもナッシュも、それぞれのソロ・アルバムを聴いてもなぜか物足りないのだ(ヤングだけはとりあえず別だ)。『デジャ・ヴ』を聴いて期待していたのとはちょっと違う。
やっぱり『デジャ・ヴ』に入っている曲は、ソロ・アルバムとはひと味違うのだった。何だかよくわからないこの「ひと味」、それぞれのソロ作にはない「ひと味」。これがつまりCSNYという場の中だからこそ生じる何かであり、『デジャ・ヴ』のバラバラな曲をくくるものと言えるのかもしれない。


以下『デジャ・ヴ』の各曲についてのコメント。

1 キャリー・オン(Carry On

前作の「青い眼のジュディ」と並んでCSNYの魅力を凝縮した曲だ。
リード・ヴォーカルはなして、歌はずっとコーラスだけ。アコースティック・ギターのサウンドに乗って強靭なコーラス・ワークが展開される。間奏のアカペラのコーラス・ハーモニーの素晴らしさ。そこから、ナッシュのコンガとスティルスのオルガンに導かれてラテン・ロック風の後半部へと入っていく。この意表をつく展開がまたカッコいい。
この曲には、ニール・ヤングが参加していない。またギターの他にベースとオルガンもスティルスが一人で弾いている。そういう意味では、前作『クロスビー、スティルス&ナッシュ』とほとんど同じ体制で作られたわけで、サウンド的にも前作そのままと言えるだろう。

ところでボックス・セット『CSN』(1991)では、この曲のタイトルが「キャリー・オン/クエスチョンズ」と標記されていた。つまりこの曲はメドレーで、後半は本当は「クエスチョンズ」という曲らしいのだ。
スティルスのバッファロー時代の曲に「クエスチョンズ」という曲がある。バッファロー・スプリングフィールドのサード・アルバム『ラスト・タイム・アラウンド』に入っている。この曲と「キャリー・オン」の後半を聴き比べてみると、たしかにメロディーが部分的に似ている。また歌詞のサビの部分がそのまま「キャリー・オン(/クエスチョンズ)」に使われている。でもまったく同じ曲とは言えない。「クエスチョンズ」は「キャリー・オン(/クエスチョンズ)」の後半部の原曲と考えればいいのだろう。

2 ティーチ・ユア・チルドレン(Teach Your Children

グレアム・ナッシュは要するに、CSNYにおける「ポップ性&ヒット・チャート」担当だと思う。だからアルバム・アーティストではないと私は思っている。
この曲もシングル・ヒットしたり映画で使われたりして当時ずいぶん耳にした。しかし、今となってはアルバムでじっくり聴くほどのものでもないのでは…。

3 カット・マイ・ヘア(Almost Cut My Hair

クロスビーの傑作だ。歌詞は難しくてよくわからないけれど、「髪を切る」とは徴兵に応じること、型にはめられて個性を奪われることを意味しているのだろうか。
スティルスとヤングがギターを弾いているが、やはり引き絞るようなニール・ヤングのギターは、クロスビーの緊張感あふれるヴォーカルにぴったりだ。

ボックス・セット『CSN』収録のこの曲のオリジナル・ヴァージョンでは、ヴォーカル・パートの後、延々とスティルスとヤングのギター・バトルが展開される(途中で倍テンポになる)。こちらでは、スティルスのほうが優勢だった。

ちなみにニール・ヤングは『デジャ・ヴ』の中で、この曲がいちばん好きだという(と、クロスビーが書いていた)。

〔追記〕 20131013
2、3日前に出た今月号の『レコード・コレクターズ』誌(201311月号)の連載記事「ロックの歌詞から見えてくるアメリカの風景」の第41回で、たまたまこの曲が取り上げられていた。何というタイムリーな偶然。
ジョージ・カックルという人が、「長い髪の毛が意味するもの」というサブ・タイトルのもとに、この歌の歌詞を解説していた。髪を長く伸ばしていた自身の思い出を交えてのなかなか味のある文章だ。
それで髪を切ることが直接的には徴兵制に関係していないことがわかった。ただし長い髪の毛は、反戦、反人種差別を唱えるカウンター・カルチャー世代のアイデンティティであり、それを捨ててはいけない(切ってはいけない)という内容とのこと。徴兵制の連想は、当たらずとはいえそれほど遠いわけでもなかったようだ。
いずれにしてもこの記事で、クロスビーの詞がすごく深いということがあらためてよくわかった。


4 ヘルプレス(Helpless

ニール・ヤングの代表曲という人もいるが、私はそれほどの曲とは思わない。『4ウェイ・ストリート』での弾き語りや、ソロ・アルバムの中にもっとよい曲がある。
上にも書いたが『デジャ・ヴ』の中でニール・ヤングが浮いているという印象を持つ人が多いのは、曲そのものが今ひとつだからではないかという気もしないでもない。

5 ウッドストック(Woodstock

オープニングの「キャリー・オン」とともに、このアルバムでCSNYのイメージを象徴する曲だ。私は、『デジャ・ヴ』の中でこの曲がいちばん好きだ。
前面にフィーチャーされたニール・ヤングのリード・ギターがすごい。例によって引きつったような無骨で強引なフレーズ。イントロなんて、あれミス・タッチなんじゃないの。奥に聴こえるスティルスの流麗なギターのフレーズと比べると、よけいそのバランスの悪さが際立つ。
ジョニ・ミッチェルの曲で、スティルスが抑制の効いたリード・ヴォーカルをとっている。これに斬新なコーラス・ワーク(ちなみにヤング抜き)がかぶさる。聴き所は、まさにこのきっちりと決まった曲本体に、ヤングの破壊的なギターがどう絡むかという点だろう。じつに絶妙で、スリリングなマッチング具合だと思う。

6 デジャ・ヴ(Déjà vu

これもクロスビーの傑作。
この曲についての次のコメントがじつに秀逸なので引用させてもらう(敬意を表してのことなので御了承を)。

一拍三連のリズムで繰り返されるギターのアルペジオに乗って(ここで冒頭の歌詞が引用されているが省略)と歌われるAパートの3人(ヤング抜き)のハモリの凄絶さにはもう言葉が出てこない。

Bパートのラスト。"We have all been here before" の箇所で、「びふぉーーーっ」と長く伸ばされたコーラスが途絶えた瞬間ジャラーンと鳴らされるギターのストローク、さらにその直後に聞こえるハーモニクス音。すべてが完璧な計算のもとに作り込まれているのだとしたら(おそらくそうなのだろうけれど)恐ろしい。これはもう完全なプログレだ。

(アマゾンHPWhoopZeekさんによるカスタマー・レヴュー)

私もまったく同感だ。
それからジョン・セバスチャンのハーモニカの墨絵のような淡い音色も印象的。あの能天気野郎にこんなハーモニカを吹かせたのは誰だ。

クロスビーによるとこの歌は輪廻転生について歌っているという。つまりここでいう既視感(デジャ・ヴ)とは、前世の記憶のことなのだ。輪廻転生は東洋的な思想であり、反キリスト教的な考え方だ。だからこの曲には、キリスト教的な価値観に対する否定が込められていることになる。

アルバム・ジャケットのメンバーの写真は、セピア色の古色が付いていて、いかにも回顧的な雰囲気が漂っている。何となく南北戦争の軍服っぽいスティルスの服、クロスビーのライフルやダラス・テイラーの弾帯、そしてそれぞれのファッションなど、みな時代を感じさせる。これらはこのタイトル曲の前世のイメージからインスパイアされたものなのではないのだろうか。

7 僕達の家(Our House

これも「ティーチ・ユア・チルドレン」と同じ。甘ったるくて、まともに聴く気にはなれない。

8 4+20

スティルスのギター弾き語りの小曲。バラッド風の翳りのある落ち着いた曲調が悪くない。が、コーラスなしなので、むしろソロ・アルバムにふさわしいような曲だ。

9 カントリー・ガール(Country Girl  Medley: Whiskey Boot Hill / Down, Down, Down / "Country Girl" (I Think You're Pretty

バッファロー時代のニール・ヤングを思わせる曲。組曲形式で、ティンパニーが鳴り響くドラマチックな構成。大仰なばかりで曲にあまり魅力を感じない。ニール・ヤングってもっとシンプルで内省的な曲か、あるいはストレートに激しい曲で真価を発揮する人だと思うのだが。

10 エヴリバディ・アイ・ラブ・ユー(Everybody I Love You

スティルスとヤングの共作とのことだが、ほとんどスティルスの曲。ビートが効いていて、コーラスも強力。短い曲なのに途中でテンポを変えたりして構成にも工夫がある。前曲からバッファロー・モードが続いている感じ。
ただ、スティルスのノリは上滑りしているし、ヤングのギター・ソロも爆発しないまま。ということもあってどうにも面白味のない曲だ。アルバムの最後を、景気よく締めようとしたのだろうけれど、結局ただそれだけの曲。


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