2013年4月21日日曜日

ストロベリー・パス 『大烏が地球にやって来た日』

少し間があいてしまったが、今回はフード・ブレインのDNAシリーズの第4回ということで角田ヒロについて。
フード・ブレインの解散後、メンバー4人のうちキーボードの柳田ヒロはソロ活動に入る。ギターの陳信輝とベースの加部正義は、陳のソロ・アルバムを作った後、新バンド、スピード・グルー&シンキを結成している。この3人のアルバムについては、前回までで述べてきた。
そして今回から取り上げるのが、フード・ブレインの残る一人、ドラマー角田ヒロがその後に参加したストロベリー・パスとフライド・エッグのアルバムだ。

フード・ブレインの後、1971年に角田はギタリストの成毛滋とストロベリー・パスを結成する。ストロベリー・パスはアルバムを1枚作った後、1972年にベーシストを加えたトリオ編成となってフライド・エッグへと発展。フライド・エッグはアルバムを2枚発表して1972年に解散している。
 ストロベリー・パスとフライド・エッグ。この二つのバンドは、成毛滋の音楽的志向がより強く反映されたグループと思われる。だから、いくら角田が参加しているとはいえ、フード・ブレインとの関わりの中で取り上げることに、さほど意味はない気もするのだが、そこはまあ御容赦を…。

角田ヒロが成毛滋とストロベリー・パスを結成したのは、フード・ブレイン解散後の1971年2月のことだった。しかし、じつはそれ以前、フード・ブレインのメンバーであった頃からすでに、角田はストロベリー・パスの前身バンドを成毛と結成して活動していたのだった。
そのバンドはジプシー・アイズという。メンバーはギターが成毛滋、ヴォーカルとギター(またはベース)が柳譲治(のちの柳ジョージ)、ドラムスが角田ヒロのトリオ編成だった。
このバンド名は、もちろんジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの曲「ジプシー・アイズ(Gypsy Eyes)」(1968年のアルバム『エレクトリック・レディランドElectric Ladyland)』に収録)にちなんだものだろう。
結成されたのは、1970年6月のこと。フード・プレインのステージ・デヴューがこの前月の1970年5月だから、角田はこの両方のバンドにふたまたをかけていたことになる。さらに、彼はこの二つの他、渡辺貞夫カルテットにも在籍していたから、三つのバンドをかけもちしていたことになる。なんともエネルギッシュというか、働き者というか。

ジプシー・アイズの三人のうち柳譲治もまた、ゴールデン・カップスとのかけもちだったため角田よりもさらに忙しかった。前々回紹介したように、柳は旧知の陳信輝のソロ・アルバム(1971年1月発表)にも大々的に参加していた。そんなわけでジプシー・アイズのスケジュールに参加できないこともしばしばだったらしい。
そのため1971年の2月に、ジプシー・アイズは柳抜きで、成毛と角田のふたりのユニット、ストロベリー・パスへと発展することになる。
なおこの間に、角田はフード・ブレイン仲間の柳田ヒロの初ソロ・アルバム『ミルク・タイム』(1970年11月発表)のセッションにも参加している。

ストロベリー・パスは1971年3月にスタジオ録音を行い、6月にアルバム『大烏が地球にやって来た日』を発表している。
6月といえば、奇しくもフード・ブレインの二分の一に当たる陳信輝と加部正義が結成したスピード・グルー&シンキのファースト・アルバム『イヴ』が発表された月でもある。

じつはこの二つのアルバムにおける二人のギタリストのプレイが、じつに好対照というか好一対というふうに私には感じられる。
『イヴ』での陳信輝が前回も書いたようにダークで重くてジミー・ペイジ風だとすれば、『大烏が地球に…』での成毛滋は、まるでジェフ・ベックだ。成毛のギターは、明快でブライトで才気にあふれている。70年代初頭、成毛滋が日本のギター小僧たちの憧れの星だったことを思い出す。

そして成毛のギターを聴いていて感じるのは、当時全盛期を迎えていた英米のロックへの強い憧憬だ。
『大烏が地球に…』のライナーで田口史人が引用しているように、成毛は日本のロックは「あくまで本物を伝えるための代用品でしかない」と語っていた。ここで言う「本物」とは、もちろん英米のロックのことである。だから成毛は自分自身についても英米ロックのいわば伝道師と考えていたわけだ。つまり自分を英米のロック・ヒーロー達と対等なミュージシャンとしてではなく、むしろアマチュアのフォロワーに近い存在として意識していたわけだ。

成毛の曲には臆面もなく本場英米ロックの「いいとこ取り」をしているようなところが見受けられる。後のフライド・エッグのアルバムで、この傾向がさらに強くなる。というか完全に元ネタのパクリみたいな曲まであったりする。このことは、成毛のどこまでもアマチュア的な英米ロックへの憧れに由来しているものと思われる。
だから彼の音楽には、ロック少年たちが本場のロックを聴いて感じるカッコよさが凝縮され再現されているのだ。ストロベリー・パスやフライド・エッグのまさにその部分に日本のロック少年たちは共感したのだと思う。

なお『大烏が地球に…』のアルバムのジャケットのクレジットでは、角田ヒロの表記は「つのだ・ひろ」となっている。この後さらに「つのだ☆ひろ」と変わっていくわけだが、ここでは便宜上これまでどおり角田ヒロでいくことにする。
角田ヒロのドラムスは、パワー・スタイルだが、スピード感もあってなかなかよい。これまで紹介してきたドラマーたち、陳信輝のソロ・アルバム・セッションの野木信一やスピード・グルー&シンキのジョーイ・スミスなどに比べると段違いのレベルだ。
このアルバム『大烏が地球に…』では、成毛のギター・ソロの場面でドラムスがスリリングに絡んでいくところがひとつの聴き所になっている。

それからこの『大烏が地球に…』から角田は、ヴォーカルも担当し、曲も提供するようになる。
角田のヴォーカルは声質はちょっとジミ・ヘンに似ていてソウルフルだが、うまいというほどでもなくまあそれなり。曲作りではいきなりあの「メリー・ジェーン」を書いて作曲家としての道に大きな一歩を踏み出している。

以下、アルバムについて。


□ ストロベリー・パス『大烏が地球にやって来た日』(1,9716

漫画家石森章太郎(当時は石ノ森ではなかった)の大烏のイラストをあしらったジャケットは、なかなか印象的。ただしアルバム・タイトルと同題のプログレ曲は収録されているものの、ジャケットの烏は視覚的インパクトを狙っただけでそれ以上の意味は、たぶんないものと思われる。

内容的にはとにかく曲調が多彩なアルバムだ。1曲目がフリー風、3曲目がプロコル・ハルム風、ラスト曲がピンク・フロイド風と、当時の英米のロックの美味しいところをいいとこ取りしている感じ。
大ヒット曲のバラード「メリー・ジェーン…」もあるが、何といってもこのアルバムの白眉は、2曲目の「イエローZ」と4曲目の「ファイヴ・モア・ペニー」だろう。どちらのギター・ソロでも成毛滋の最高のプレイが聴ける。

なお1曲目「アイ・ガッタ・シー・マイ・ジプシー・ウーマン」のみヴォーカルが柳譲治。つまりここでジプシー・アイズが再現されているわけだ。なぜこれを冒頭に持ってきたのか。ジプシー・アイズへのオマージュなのか、決別なのか。それとも1枚のアルバムも残さなかったこのバンドのメモリアルなのか。

以下、各曲についての感想。

1. 「アイ・ガッタ・シー・マイ・ジプシー・ウーマン(I Gotta See My Gypsy Woman)」

おずおずとミディアム・テンポで始まるこの曲は、曲調もギター・ソロも抑制が効いていてフリーのように渋い。他バンドを恐れさせたというジプシー・アイズのスーパー・プレイは、エンディングでわずかに聴けるだけだ。
柳譲治のヴォーカルがエグい。
陳信輝のソロ・アルバムで聴けるヴォーカルより、はるかにクリアに録られている。がそれゆえよけいこの人のヴォーカルの貧弱さが露呈している。この人のエグさは演歌向きだ。レイニー・ウッドで演歌(風ポップス)でブレイクしたのも納得。

2. 「イエローZ Woman Called Yellow Z)」

ジェフ・ベックのような硬質なリフがカッコいい。
曲の中盤の長いギター・ソロがとにかく素晴らしい。空間を埋め尽くしていくようなフレーズの勢いに、思わず引き込まれてしまう。成毛の生涯を通じての最高の名演。
角田ヒロのドラムミングはアグレッシヴなパワー・スタイル。ドンドコ、ドンドコとタムタム中心なのが独特だが、これはギターのトーンと対抗するためか。

3. 「ザ・セカンド・フェイト (The Second Fate)」

一転してメロウで翳りのあるプロコル・ハルムのようなオルガン中心のミディアム曲。はっきり言ってあんまり聴き所なし。

4. 「ファイヴ・モア・ペニー (Five More Pennies)」

ブギっぽい曲だがブレイクしてからのギター・ソロ前半は、ジミー・ペイジばりの無伴奏ソロ。線が細くてネバリがない分ペイジには及ばない。しかし、ドラムスとベースが入ってのソロ後半は角田のドラムスに煽られての切れ味鋭いパワフルギターが聴ける
ここでも角田はタムタム中心のドンドコとしたドラム。あまり知的ではないが、切れがいいから許す。

5. 45秒間の分裂症的安息日(Maximum Speed Of Moji Bird)」

成毛によるバロック風のオルガン・ソロ。次曲のイントロ的な小曲。成毛の多才ぶりを確認。

6. 「リーブ・ミー・ウーマン (Leave Me Woman)」

コンパクトなハード・ロック・ナンバー。途中のオルガン・ソロが地味だからというわけでもないが、曲そのものが平凡で今ひとつ印象は薄い。

7. 「メリー・ジェーン・オン・マイ・マインド(Mary Jane On My Mind)」

言わずと知れた大ヒット曲。このアルバムの中ではまったく異質で、この曲だけ完全に浮いている。
バラードだからというのではなく、作りがまったく歌謡曲だからだ。ストリングスや女性コーラスが入るアレンジもそうだし、成毛の泣きのギターも歌謡曲仕様でいかにも安っぽい。
完全にシングル前提の曲で、多少なりともアルバムの経費を回収しようとする会社の意図が見え見え(?)。これがぴったり当たったわけだけど。

8. 「球状の幻影 (Spherical Illusion)」

前後をバンド・サウンドによるテーマで挟まれたちょうどツエッペリンの「モービー・ディック」のような構成のドラム・ソロ曲。
角田のドラムスは、肉体派に見えて意外と手数も多くてキレもある。ところどころでよろめく感じもしないではないが。

9. 「大烏が地球にやってきた日 (When The Raven Has Come To The Earth)」

風の音のSE、アコースティック・ギター、フルートで静かに始まり、烏の羽音や雷鳴を挟みながらバンド・サウンドになって盛り上がっていく曲。ほとんどピンク・フロイドの世界。それ以上のものではないのが残念。

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