2013年4月8日月曜日

スピード・グルー&シンキ 『イヴ』 『スピード・グルー&シンキ』

フード・ブレインのDNAシリーズの第3回め。前回に続いて今回も陳信輝のアルバムについて。

陳はソロ・アルバムを1971年1月に発表後、スピード・グルー&シンキを結成する。そしてソロ作の5ヶ月後に発表されたこのグループのファースト・アルバムが名作『イヴ』だ。
ここでは、ダークで重いトーンはそのままだが、しかし何か吹っ切れたようなサウンドを聴くことが出来る。

『イヴ』はあきらかにレッド・ツェッペリンと部分的にクリームにインスパイアされたサウンドで成り立っている。陳のダークなブルース志向は、初期ツェッペリンにおけるジミー・ペイジのセンスにぴったり相似している。だからツェッペリンをお手本にしたことは陳にとって必然だったのだろう。彼はここで自分のスタイルを見つけたという手応えを感じたのだと思う。
たとえばアルバム4曲目「ODE TO THE BAD PEOPLE(悪人へ捧ぐ)」のギター・ソロのじつに確信に満ちたプレイなどは、まさに自分のスタイルとしての自信を感じさせるものだ。

しかし続く2作目のアルバム『スピード・グルー&シンキ』は、2枚組ということもあり、クラシカルなチェンバロの小品から電子音楽まで、サウンドの試みの幅が広がり過ぎで意欲的ではあるが散漫なアルバムになってしまった。
もっともこのアルバムではドラムスのジョーイ・スミスとその仲間のMichael Hanopolという米人コンビが、ほとんどの曲を作るなど主導権を握っているように見える。なので陳のコンセプトがどの程度反映されているのかは定かではない。

ともあれたしかにこのアルバムでは、ギター・プレイそのものよりも、ギターがらみのサウンドの実験的な趣向の方がどちらかというと印象に残る。
たとえばディスク2の2曲目「SEARCH FOR LOVE」での「一人ディレイ二重奏」やそこにかぶさる雷鳴などのSE、また4曲目「WANNA TAKE YOU HOME(家に連れて帰りたい)」でのテープ逆回転ギターと、呪文のようなヴォーカルといったアヴァンな展開などはとくに印象的だ。

陳信輝はやはりサウンド・クリエーター的側面を強く持ったギタリストと言えると思う。ジェフ・ベックというよりジミー・ペイジ・タイプというわけだ。
だからもっともっとプレイヤーとクリエーターという二つの資質を合体させたような路線で活動して欲しかったと思う。ジミー・ペイジで言えば、ちょうどツェッペリンの中期のアルバムで聴けるような音の世界だ。
『スピード・グルー&シンキ』という何となく半端な内容のアルバムで、彼の活動が途絶えてしまったのはいかにも惜しい。
この後、彼は「伝説のギタリスト」と呼ばれることになる。

以下各アルバムについてのコメント。


□ スピード・グルー&シンキ『イヴ』(19716

陳信輝がフード・プレイン後、ソロ作をはさんで結成したスピード・グルー&シンキのファースト・アルバム。フード・ブレインの『晩餐』と並ぶ日本の初期のロックの名盤だ。

まずアルバムのジャケットが素晴らしい。
セーラー服を着た3人のあどけない西洋人(たぶん?)の子供が並んでいる。セピア色の古いポートレート写真だ。ロックのアルバムとしては、なかなか強烈なインパクトがある。そしてとにかくトリオの編成であることが直感的に印象付けられる。
もしかするとこれはフード・ブレインの『晩餐』の内ジャケの集合写真のアイディアを踏襲したものか。あるいはさらに遡ればツェッペリンのセカンド・アルバムのあのセピア色の集合写真のアイディアにつながっているのかもしれない。

と思いたくなるのも中身のサウンドがそのツェッペリンを思わせるハードかつヘヴィかつダークなものだからだ。
陳がこれまで関わってきたアルバムにおけるセッション的な雰囲気はここにはない。陳が曲作りに関わっているのは全7曲中3曲のみだが、ブルースをベースにしながらも、新しいバンド・サウンドのコンセプトが彼の中で固まってきている感じがある。
ちなみに曲作りでは、ヴォーカルとドラムスのジョーイ・スミスが単独で3曲提供し、さらに共作で3曲に関わるなど大活躍している。

それぞれの曲もラフなセッションではなくリフを主体にしてちゃんと練られたものだ。アルバム全体の構成もヘヴィ曲の2連発で始まり、最後を組曲とそれに続くアコースティックな弾き語りで締めるなど、なかなか気が利いている。

サウンド的にはやはり全体にツェッペリンの影響を強く感じる。
1971年のこの時点までにすでにツェッペリンのアルバムはサードまで発表されていた。陳は十分にこの三枚を聴き込んでいたに違いない。とくにリフを主体にした曲作り、ギターの音色やフレーズなどにジミー・ペイジとの相似を感じる。また、ギター、ベース、ドラムスの音の録り方や組み立てなんかもツェッペリンを思わせるものがある。
ついでに言えば、ドラムスのドタバタした感じなどもジョン・ボーナムにそっくりだ。
ただし、リフ作りの冴えは到底ジミー・ペイジに及ばないのはいたしかたない。またヴォーカルだけは全然違う。やはりロバート・プラントみたいな人はなかなかいないのだ。
それだけでなく、ヴォーカルに関しては、前作のソロ・アルバムでも感じたことだが、イコライジングをかけて完全にサウンドの一要素として扱っている感じがする。はっきり言って、歌詞の中身なんかどうでもよかったのではないか。たぶん。

とにかくアルバム冒頭の2曲は、怒涛の和製レッド・ツェッペリン節炸裂といった感じ。
1曲目「 MR. WALKING DRUGSTORE MAN 」は、歪んだギターとベースのユニゾンによるミディアム・テンポのヘヴィなリフで始まる。
そこへ切り込んでくるギターのオブリガードなどジミー・ペイジそのものだ。ドラムスのフィル・インの感じなんかもジョン・ボーナムにそっくり。違うのは、ヴォーカルが金切り声ではなくてひしゃげた録り方をしていること。

そして2曲目が、「BIG HEADED WOMAN (冷たい女)」。これでもかとダメ押しのツェッペリン風のダークなスロー・ブルース。
ギター・ソロのイコライジングのかかった音色とフレーズ、あるいはコード・ストロークの入れ方など、やっぱりペイジだ。ドラムスも、そのよたり具合などボーナムのまねをしているとしか思えない。

この2曲、ツェッペリンに似すぎているのがまあ気になると言えば言えるかもしれない。

以下、残りの曲についての感想。

STONED OUT OF MY MIND
こっちはちょっとジェフ・ベック・グループか。もっと正確に言うとベック・ボガード&アピスみたいだが、BB&Aはこのときまだ存在していなかった。
あとはクリームを思い出させる。間奏部のギター・ソロのトーンはクラプトンそっくり。
ベースが太くうねるようにぐいぐい出てくるところもジャック・ブルースみたいだ。

ODE TO THE BAD PEOPLE (悪人へ捧ぐ)」
またもやリフを前面に出してツェッペリン風。
冒頭からとばすドラムスのフィル・インなどやっぱりボーナム似だ。
間奏で粘りつくように這い回るギターが、今回の冒頭にも書いたように自信に満ちていてとりわけ印象的だ。やりたいことをやっているといった感じ。

M Glue M グルー)」
M グルーというのは加部のことらしい。フリー・フォームのベース・ソロ。次の曲のイントロになっている。

KEEP IT COOL
シンプルでクールなリフがクリームっぽい。 
フラットでジャズっぽいドラミングはジンジャー・ベイカーみたいだし、ワウ・ギターはクラプトン風。そもそも曲そのものがクリーム的だ。

SOMEDAY WE'LL ALL FALL DOWN (滅亡の日)」
ジョーイ・スミスのアコースティック・ギター弾き語りのソロ曲。
曲が始まる前に喋りながらギターのペグを締めているが、これは変則チューニングをアピールしているのか?
どうということもないシンプルな曲だが、終わるとまた1曲目から聴きたくなる。


□ スピード・グルー&シンキ『スピード・グルー&シンキ』(19723

スピード・グルー&シンキのセカンド・アルバムは怒涛の2枚組だ。
これはビートルズで言えばホワイト・アルバムに相当するアルバム。たんに2枚組であるからだけではない。いろいろなタイプの曲がゴタゴタと並んでいて、遊びや実験的な試みがあちこちに散りばめられている点が似ているのだ。そのために全体としては、よく言えば豊かな厚み、悪く言うと散漫な感じを与えている。

このアルバムでは、メンバー以外に3人のゲストミュージシャンを迎えている。この内のひとり Michael Hanopol(「ハノポル」と読むのだろうか)という人がかなり大きな役割を果たしている。ベース、ヴォォーカル、キーボードを弾いているほか、曲も書いているのだ、それも大量に。アルバム全14曲中、この人が単独で5曲、ジョーイ・スミスとの共作で2曲、合計7曲を書いている。
にもかかわらずこのMichael Hanopolはナゾの人物で、ライナーの中でもまったく触れらていない。ネットのある記事によると、ジョーイ・スミス人脈のアメリカ人らしい。

さらにジョーイ・スミスがこのHanopolとの共作2曲の他に単独で5曲書いているから、結局全14曲中12曲はこの二人の曲ということになる。とくにアナログD面全部を占める電子音楽にいたっては、演奏もこの二人だけでやっていると思われる。
相変わらず陳は曲作りを丸投げしているわけだが、これでよかったのだろうか。庇(ひさし)を貸して母屋を取られたようにも見えるのだが。よくわからん。

さてアルバムの内容について。
冒頭ドジョーイ・スミスのドラッグがらみのギミックがあって、1曲目はミディアムのブギーから始まる。ツェッペリンの呪縛から離れたことが宣言されているかのようだ。
以後、立て続けにディープなブリティッシュ・ロック風の曲が並んでいる。曲調としては、ブラック・サバス、ユーライア・ヒープ、フリーのようなラインだ。
しかし、ディスク1の6曲目「SNIFFIN’&SNORTIN’op.2(鼻歌Op.2)」のアウトロのテープ早回しの辺りから様子が変わってくる。
続く7曲目「DON’T SAY NO」は、それまでとは一変してスキャットとフルートとオルガンがメインのモンド風のゆるい曲。
さらに次のディスク1のラスト曲「CALM DOWN」ではタイトなリフで始まるも、途中からドラム・ソロになり、ちゃらんぽらんに終わってしまうというお遊び的な仕掛けがある。

これがディスク2では、この多様でときにエキセントリックな志向性がどんどん強くなっていく。
たとえば1曲目「DOODLE SONG」は、ジョーイ・スミスがドラムスを叩きながら怒鳴っているだけのソロ曲だし、3曲目の「CHUPPY」は。ゲストの渡辺茂樹によるチェンバロ・ソロの小曲といった具合だ。
とくにディスク後半、アナログD面全部を使っての2曲「SUNPLANETSLIFEMOON」と「SONG FOR MY ANGEL(天使へ捧げる歌)」はムーグ・シンセサイザーによる電子音楽の世界でかなり実験的。バンドによる演奏ではない。

その他では2曲目の「SEARCH FOR LOVE」のインストゥルメンタル・パートが面白い。ギターのディレイによる「一人二重奏」や、風や鐘や雷雨のSEが効果的に使われている。
また、4曲目「WANNA TAKE YOU HOME(家に連れて帰りたい)」では、曲の中盤ベースが前面に出てきて始まるサイケ的展開がなかなか印象的だ。テープ逆回転のようなギター音、呪文のような、ポエトリー・リーディングのようなヴォーカル、何かを細かく叩いているようなSE。かなり前衛的でよい。

アルバム全体としてはこのような意欲的な試みが懐の深い音楽性という印象を与えている。こんな感じを与える2枚組のアルバムというのは、当時から今に到るまで日本のロックのアルバムにはめったにない。
ただそれが同時に散漫な感じになってしまっているのもまた事実。ビートルズのホワイト・アルバムもちょうどそんな感じだった。そのせいで全体としてのスケール感のようなものは感じられないし、ちょっと薄味な感じだ。
スピード・グルー&シンキのアルバムとしては、集中力のある前作『イヴ』の方が優れていると言えるだろう。

さらに難点としては、やはり演奏以前に曲の出来がどれも今ひとつなこととだ。とくに、ディスク1の曲があんまり面白くない。それと電子音楽もはっきり言ってお粗末。
ついでに言うとヴォーカルに魅力がないのも致命的。ジョーイ・スミスのヴォーカルは、BB&Aのアピスと同程度にしか聴こえないのだがどうだろう。
- DON'T SAY NO -

以上の文中で、すでに主な曲については触れてしまった。残りの曲についての感想は省略するので、各曲ごとの感想はなしということにする。

〔フード・ブレインのDNA関連記事〕

0 件のコメント:

コメントを投稿