2013年4月30日火曜日

フライド・エッグ 『Dr.シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』


今回も前回に続いて成毛滋と角田ヒロ関連のお話。今回は、フライド・エッグのファースト・アルバムについて。

  1971年の2月に成毛滋と角田ヒロの二人は、それまでやっていたジプシー・アイズを発展させてストロロベリー・パスを』結成した。二人は翌月3月にスタジオに入りアルバム『大烏が地球にやって来た日』をレコーディングしている。このアルバムについては前回に述べた。

このアルバムのCDのライナーによると、成毛は、その後、来日したフリーのサウンドに驚愕していきなり渡英、そのためにストロベリー・パスは消滅したとのことである。

フリーは1971年の4月末に来日して、2回公演を行っている。4月30日の一ツ橋共立講堂と、5月1日の大手町サンケイ・ホールである。この内少なくともサンケイ・ホールでは、ストロロベリー・パスが共演している。
早弾きの天才成毛は、全然スタイルの違う間(ま)と余韻が売りのポール・コソフのギターに何を感じたのだろう。
それはともかく成毛の滞英は短いものだったらしいが、アルバム『大烏が地球にやって来た日』が発売された6月には、ストロベリー・パスは、もう活動していなかったことになる。

そしてこの後ストロベリー・パスの二人は、8月に箱根アフロディーテに出演している。箱根アフロディーテは、8月6日と7日の二日間にわたり芦ノ湖畔で開催された野外コンサート。霧の漂う中での幻想的なピンク・フロイドのステージで有名だ。
このときは、ストロベリー・パスではなく「成毛滋&つのだひろ」名義だったようだ。ステージでは、これにベーシストとして高中正義が加わっていた。
高中はこのときまだ18歳の高校生。アマチュア・バンドの若手ギタリストとして注目されていた高中を、成毛が抜擢してベースを弾かせたと言われている。しかし、これ以前に高中は柳田ヒロ・グループですでにベースを弾いていた実績がある。

この前月の1971年7月に日比谷の野音で岡林信康のコンサートが開かれた。この様子は、ライヴ・アルバム『狂い咲き』として発表されている。それまでのはっぴいえんどに代わって岡林のバックを務めているのが柳田ヒロ・グループだった。このときのメンバーはピアノの柳田に、ドラムスが戸叶京助、そしてベースが高中正義というトリオ。メンバー紹介のとき、まだ若かったせいなのだろう岡林に「高中クン」と紹介されている。
 だから成毛の思いつきで高中にベースを弾かせたというのは当たっていない。

ともかく箱根アフロディーテでの共演がきっかけとなり、この3人によってフライド・エッグが結成されたのだった。
フライド・エッグはこの年の10月からスタジオに入り、翌年の1月までかけてアルバムのレコーディングを行った。一枚のアルバムに3ヶ月もかけるのは、当時の日本においては異例の長さだったらしい。これは、ひとえに成毛の凝り性の結果だとか。
こうして出来上がり、1972年4月にリリースされたのが、フライド・エッグのファースト・アルバム『Dr.シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』である。ちなみに、その前月の3月には、スピード・グルー&シンキのセカンドにして怒涛の2枚組『スピード・グルー&シンキ』が発売されている。

以下このアルバムについて。


□ フライド・エッグ『Dr.シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』(1972.4)

『Dr.シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』は、その演奏、録音、構成などの点で完成度の高いアルバムと言われている。それゆえ、当時の日本の「ニュー・ロック」のひとつの到達点とも評価されているという。また、ある面では日本のプログレッシブ・ロックの始祖という位置にもあるらしい。これらはいずれもこのアルバムのCDの田口史人のライナーによる。

しかし、このアルバムには一聴すればわかるのだが、どうしても英米のロックのモノマネっぽい感じがある。
たぶんそのせいなのだろう、その「完成度の高さ」にもかかわらず、実際の評価は今ひとつぱっとしない感じだ。また「日本のニュー・ロックの到達点」というわりには、これまで紹介してきたフード・ブレインや、柳田ヒロの初期ソロや、スピード・グルー&シンキのアルバムよりも高く評価されているようには少なくとも私には見えない。

アルバムとしての全体的な印象は、音の作りがキーボード類中心であることと、シンフォニックなアレンジが目立つこと、そしてその分ハードな曲調の曲がわりと少なめなことだ。
ハード・ロックと言えるのは、2曲目 「ローリング・ダウン・ザ・ブロードウェイ」、4曲目「バーニング・フィーバー」、7曲目「アイム・ゴナ・シー・マイ・ベビー・トゥナイト」、そして8曲目「オケカス」の4曲のみ。
成毛には、ギター中心のハード・サウンドとは別に、もう一方でシンフォニックなサウンドへの志向があるように見える。
ここで思い浮かぶのは、フェリックス・パパラルディだ。この人も、そういう志向を持っていた。彼のプロデュースしたクリームや、メンバーとして参加したマウンテンには、ハードさと共にクラシカルな要素があった。フライド・エッグの曲調の幅はちょうどマウンテンを思わせる。
しかしこのアルバムのシンフォニックな曲では、ギター・サウンドが他の音に埋もれてしまって印象が薄くなってしまっている。また、ハードな曲でも、ストロベリー・パス時代の「イエローZ」や「ファイブ・モア・ペニー」のようにシンプルで切れ味鋭いギターを聴くことはできない。
ファンとしては、ギター・ヒーロー成毛に、もっともっと前面に出てギターを弾きまくって欲しかったのではないだろうか。私もそう思う一人だ。

それでも一聴してとにかくカッコいいサウンドだ。
当時の英米のロックと比較して聴いても引けを取らないと言っている人もいる。
しかし、何度か聴いていると、どうしてもモノマネというかニセモノっぽさが鼻についてくる。二番煎じ的と言ってもいいし、マガイもの感とも言える。ちょうどディズニーやキティやドラえもんといったキャラをコピーした中国の遊園地の着ぐるみを見ているみたいな感じだ。

まずあちこちで曲やフレーズの元ネタが透けて見える。彼らはそれを隠そうともしていない。
たとえば8曲目の「オケカス」。EL&Pを下敷きにしている曲だが、タイトルまで元の「タルカス」を駄洒落的にもじっている。
それから7曲目の「アイム・ゴナ・シー・マイ・ベビー・トゥナイト」。ヴォーカル部分のオルガンのフレーズは、ユーライア・ヒープの「対自核のイントロ部分をほとんどそのまま引用している。
ヒープの「対自核」は、『Dr.シーゲルの…』発売の時点でも大ヒット中だった。だから、当時フライド・エッグのこの曲を聴けば誰でもヒープを思い浮かべたはずだ。
さらに言えば冒頭の1曲目の「ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン」を聴いて、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を思い浮かべない人がいるだろうか。

わかるようにやっているのだから、けっしてパクリとは言えない。かといって茶化しているわけでもないから、パロディというのとも違う。おそらくこれは元ネタとなった曲へのオマージュというかシンパシーの表現なのだと思う。

そのことと関係しているが、このアルバムは曲自体の出来がどれも今ひとつという感じだ。
『Dr.シーゲルの…』のCDのライナーで湯浅学は、このバンドの曲が、英米の有名ロック曲と並べて聴いてもまったく違和感がなかったと書いている。が、私はそうは感じない。やはり、まねごとに終始し、それに満足していて、オリジネーターを越える意欲が感じられない。だからモノマネ感が漂うのだろう。

さらにまたそのことと関係して、ヴォーカルにもあまり魅力がない。
ネイティヴの英語にはかなわないという話ではない。英語で歌うことの必然性が感じられないのだ。だから不自然だし、とってつけたような感じが抜けない。
当時「日本語ロック論争」というのがあった。そこで争われたのは日本人のやるロックは英語か日本語かということだったが、それ以前にそもそも日本人が英語で歌うことに無理があったのだと思う。 

しかしそんなニセモノ感あふれるこのアルバムの中で、とにかくキラキラと光り輝いているのが成毛のギターと角田のドラムスのプレイそのものだ。
前回のストロベリー・パスについての中でも書いたが、成毛には、どこまでもアマチュア的でピュアな英米ロックへの憧れがある。それが、「日本のロックは英米ロックの代用品」という発言になるのだろうし、モノマネで満足してしまう原因でもあるのだろう。しかしその思いは同時にここで聴ける熱いプレイを生み出してもいるのだ。
このアルバムの聴き所は、まさにその辺にあるのだと思う。

以下、各曲について。


1 「ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン(Dr. Siegel's Fried Egg Shooting Machine)」

ヴォーカルはコーラスだし、歓声や掛け声が聞こえ、ギターにはワウが効いていてとにかくにぎやか。構成も2部構成になっているなど、なかなか凝った作りの曲だ。これから始まるアルバムの世界に期待を抱かせる。

ただこの曲を聴けば誰もがビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を思い浮かべるだろう。
メロディーや歓声や拍手のSE、歪んたギターなど明らかに似ている。いったんフェイド・アウトした後で始まるパートは、「ヘイ・ジュード」にもちょっと似ているような…。
ビートルズへのオマージュか。

なお冒頭にちょっとしたギミックがある。空を見て驚く人々の声と、目玉焼きが飛んできて何かにぶつかる音のSEだ。これを聴いてジミ・ヘンドリクスの『アクシス:ボールド・アズ・ラブ』の一曲目「EXP」を思い出した。
「EXP」は、アナウンサーによる宇宙人への短いインタヴューがあって、UFOの飛行音(ギターとスライド・バーで出している)が続く曲だ。
ちょっとしたしゃべりと何かが飛んでいる音でアルバムの幕が開くところが似ている。フライド・エッグの空飛ぶ目玉焼きは、UFOのイメージとダブっているようにも思えてくる。
フライド・エッグのギミックは、元ネタがどうこうというほどのものではない。しかし、成毛がジミ・ヘンのセカンド・アルバム『ボールド・アズ・ラブ』を聴いていなかったはずはないから、多少なりとも「EXP」のアイデアが念頭にあったのかもしれない。

2 「ローリング・ダウン・ザ・ブロードウェイ(Rolling Down the Broadway)」

リフから始まるブリティッシュ風の粘っこいヘヴィ・ロック。
ヴォーカル部分のリフは、マウンテンの「クロスローダー (Crossroader)」(1971年のサード・アルバム『悪の華(Flowers of Evil)』に収録)のリフに似ている。

ギター・ソロは、なかなか熱いのだが、サイド・ギターやコーラスがかぶさってきて邪魔。もっと前に出てきて弾いてほしかった。

3 「アイ・ラブ・ユー(I love you)」

角田作のベタで切ないラヴ・バラード。ピアノ、ストリングスに管まで入るアレンジは、ロックというよりポップス。「メリー・ジェーン…」の二番煎じで、それ以上のものではない。

4 「バーニング・フィーバー(Burning Fever)」

痛快ヘヴィ・ロック。カッコいい。

イントロ部分は、レッド・ツェッペリンの「アウト・オン・ザ・タイルズ (Out on the Tiles)」(1970年の『レッド・ツェッペリンⅢ』に収録)のイントロを発展させた感じ。そういえばギターとベースのトーンやフレーズも全体にツェッペリン風に聴こえる。

フィル・インのギターは鋭いのだが、ギター・ソロは今ひとつ印象に残らない。もっと前に出てきてくれ。

ネットで見ていたらこの曲の元ネタはジェフ・ベックの「迷信」と指摘している方がいた。しかし、私にはまったくそんな風には聴こえない。「迷信」のようなファンキーな感じはこの曲にはない。
確認してみたら、「迷信」が元ネタというのはあり得ない話だった。本家スティーヴィー・ワンダーの「迷信(Superstition)」が収録されたアルバム『トーキング・ブック』のリリースが、1972年10月。さらにこの曲のジェフ・ベックによるカヴァーが収録されたアルバム『ベック・ボガート & アピス』のリリースが1973年2月。
つまり、フライド・エッグのこの曲が発表された時点では、どちらもまだ世に出ていなかったのだ。

5 「プラスティック・ファンタジー(Plastic Fantasy)」

誰も指摘しないけれど、これってキング・クリムゾンの「エピタフ」なんじゃないのか。
重苦しい雰囲気に加えて、ドラムスのフレーズや、アコースティック・ギターのアルペジオ、そしてメロトロンのように鳴り続けるオルガンなどどれも「エピタフ」を思わせる。
次作の『グッドバイ・フライド・エッグ』には、さらにもっと「エピタフ」にそっくりの「アウト・トゥー・ザ・シー(OUT TO THE SEA)」という曲もあるが、やはりこちらも「エピタフ」だ。ちなみに、どちらも高中正義作曲。

いったんブレイクして前半が終わる。その後オルゴールのようなピアノから始まる後半は一転してメジャーな展開。こういうシリアス調から明るいコーラスの牧歌的な曲調への展開は、まるでムーディー・ブルースのようだ。

5 「15秒間の分裂症的安息日 (15 Seconds of schizophrenic Sabbath)」

宗教音楽風アカペラのコーラス。つなぎの小曲。あまり効果を挙げていないような気もするが。

7 「アイム・ゴナ・シー・マイ・ベビー・トゥナイト(I'm gonna see my baby tonight)」

ヴォーカル部分のオルガンのフレーズは、ユーライア・ヒープの「対自核(Look at Yourself)」のイントロ部分のオルガンとほとんど同じ。その他、オルガンを中心に据えたサウンドや、ハイ・トーンのバック・コーラスなど完全にユーライア・ヒープを下敷きにしている。

この前年1971年の秋に発売されたヒープのサード・アルバムからシングル・カットされた「対自核」は日本でも大ヒット。フライド・エッグのこのアルバムが発売された1972年4月の時点の洋楽チャートでも、この曲はベスト10に入っている(たとえばTBSラジオ ポップス・ベストテンの1972430日付では、第4位)。
だから上にも書いたがフライド・エッグのこの曲を聴けば、当時誰もがヒープの「対自核」を思い浮かべたはず。

ギター・ソロは怒涛のオルガン・サウンドに埋もれ気味。で、ちょっと物足りない。

8 「オケカス(Oke-kus)」

タイトルからしてFL&Pの「タルカス」をもじっているわけだ。
本家「タルカス」の冒頭は、オルガンとベースとドラムスとが緊密に絡むパーツが、目まぐるしく入れ替わりながら畳み掛けてきて、めくるめくような快感を生んでいる。しかし、ここでのフライド・エッグは、なかなかいいところまで迫っているものの、このパーツのパターンが少な過ぎて畳み掛けてくるまでに到っていない。
 やはり桶(オケ)は樽(タル)より小さかった。
ただし中盤のシンセサイザーのバックでぐいぐい迫ってくる高中のベースはグッド。

9 「サムデイ(Someday)」

角田作のロッカ・バラード。ピアノ、ストリングス、管が入るのは3曲目の「アイ・ラブ・ユー」と同じ。で、「メリー・ジェーン…」の二番煎じであることも同じ。

10 「ガイド・ミー・トゥー・ザ・クワイエットネス(Guide me to the quietness)」

めりはりを強調したキーボードがメインの壮大な曲。ただどうにも曲そのものに魅力がなくて、大仰で冗長に聴こえてしまう。

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