2013年5月10日金曜日

フライド・エッグ 『グッバイ・フライド・エッグ』

今回も前回に続いてフライド・エッグのお話。今回は、彼らのセカンド・アルバムにしてラスト・アルバムの『グッバイ・フライド・エッグ』について。

1971年8月の野外フェス<箱根アフロディーテ>への出演を機に、成毛滋、角田ヒロ、高中正義の三人はフライド・エッグを結成。翌1972年の4月にファースト・アルバムフ『Dr.シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』をリリースする。このアルバムについては、前回に取り上げた。

フライド・エッグはその後、5月から6月にかけて京都、大阪、東京、名古屋の4ヶ所を巡るコンサート・ツアーを行い成功をおさめた。
『ミュージック・ライフ』誌の1972年度の人気投票を見ても、当時の彼らの人気の高さが窺える。
グループ部門でフライド・エッグは第5位(ちなみに第1位はモップス)。ギタリスト部門で成毛が第1位(ちなみに陳信輝は第5位)、成毛はキーボード部門でも第3位に入っている。そしてドラマー部門で角田が第1位。なお高中はベーシスト部門の5位までには入っていない。
ついでにフライド・エッグ解散後の同誌1973年度の人気投票でも、成毛のギタリスト部門1位と角田のドラマー部門1位は変わっていない。さらに成毛はキーボード部門で前年の第3位から第2位に上昇、またベーシスト第6位には高中の名前も見える。

まさに、フライド・エッグは勢いに乗っているように見えた。
『グッバイ・フライド・エッグ』のライナーによると、上のフライド・エッグのツアーは、PAシステムを完備していた点で、当時としては画期的なものだったという。しかし機材はもちろん、そのためのスタッフも同行させる必要があり、経済的にはまったくの赤字だったらしい。
そうした経済的な問題に加えて、人気の高まりとともにメンバー各人が独自の道を目指し始めたこともあったようで、結局バンドは解散を迎えることになる。結成から約1年間の活動だった。そして解散ライヴを9月19日に日比谷野音で開催したのだった。

バンド解散後のこの年の12月にラスト・アルバム『グッバイ・フライド・エッグ』が発売された。内容は、9月の解散ライヴの音源とスタジオ録音の音源を片面ずつに配したものだ。
このタイトルといいライヴとスタジオの音源をあわせた構成といい、何だかクリームのラスト・アルバム『グッバイ・クリーム(原題 Goodbye』(1969年)をそっくりなぞった感じだ。何もそこまでマネしなくても…。
ともあれこのアルバムでフライド・エッグの怒涛のライヴが聴けるのはうれしい。成毛と角田のパフォーマーとしての素晴らしさが、生の形で記録されている。それに比べると、スタジオ・サイドの曲はどれもショボイ。一枚丸ごとライヴというわけにはいかなかったのだろうか。
しかし、このアルバムでのライヴとスタジオ曲の出来ばえの落差が、おのずと彼らのミュージシャンとしての限界を示しているとも言える。すなわち、プレイヤーとしては最高、でもクリエイターとしてはいまひとつということだ。

当時ギタリストとして絶大な人気を誇った成毛滋だったが、結局オフィシャルな形で制作したアルバムは、ストロベリー・パスの1枚とフライド・エッグの2枚の計3枚のみだったことになる(何枚か出た「ソロ・アルバム」には当人は関知していないという)。何とも物足りない。
そんな音源の少なさもあり、また前回述べたように、あきらかに漂う英米ロックのモノマネっぽさのせいもあるのだろう、現在における成毛の評価はそれほど高くないように見える。
たとえば、『レコード・コレクターズ』誌2013年1月号の「ニッポンのギタリスト名鑑」特集でも、3段階に分かれている取り上げ方の中で、成毛はいちばん下のランクだ。ブルース・クリエイションの竹田和夫やフラワー・トラヴェリング・バンドの石間英機が、そのひとつ上のランクで扱われていて、彼らより成毛は下の扱いだ。当時の人気とは完全に逆転していることになる。ちょっとさみしい話だ。

さてフライド・エッグ解散後、成毛は再び渡英。角田と高中は、加藤和彦のサディスティック・ミカ・バンドの結成に加わっている(角田はすぐ脱退した)。

フライド・エッグの解散と、そしてもうひとつのバンド、ブルース・クリエイションの同時期の解散をもって、初期の日本のロックのある一つの流れは消滅したのだった。
その流れとは、本場の英米のロックに、ひたすら真正面から憧れ、自分の手で愚直にそれを再現しようとしたシリアスで硬派な人たちだ。この人たちはあまりに愚直過ぎて、歌詞まで英語で歌ってしまったのだった。でもそのようなストレートな憧れ方に、私は共感を覚えるのだ。
近年このような日本のロックを指して「ニュー・ロック」というタームが使われているらしい。私はこの使い方に非常な違和感がある。だって、もともとこの言葉は、当時の日本の人たちが真似した英米のロックそのものを指していたはず。それを日本のロックを限定的に指す意味で使うのは本末転倒だからだ。時代は変わったのか。

これ以後の日本のロックは、もっと身近な感覚を、オシャレで気が利いた形で表現するものへと変質していく。もうそれは本当はロックとは言えない。吉田拓郎や荒井由美や井上陽水やキャロルやサディスティック・ミカ・バンドの時代になっていくのだ。
その意味で、フライド・エッグの角田と高中が、サディスティック・ミカ・バンドに移ったことは、そんな時代の変わり目を象徴するような出来事のように見える。

フード・ブレインから始まって、そのDNAを辿りながら初期の日本のロックについて書いてきた。しかしいよいよそれも今回でおしまい。そのDNAは、ここで消滅してしまったからだ。
ところで英国のロック・ミュージシャン、ジュリアン・コ-プの書いた『ジャップ・ロック・サンプラー』を読んでみたいと思っている。
日本人も知らないような日本のロックの奥の細道をマニアックに辿った奇書だという。英米のロックに憧れて作られた日本のロックに、モノマネというだけではないどんな独自の価値を彼が見つけたのか、ちょっと気になる。

以下アルバムについて。

□ フライド・エッグ『グッバイ・フライド・エッグ』(1,97212

A面がライヴ、B面がスタジオ録音という構成のアルバム。
ジャケットのデザインは、モノトーンのタイトル文字だけ。表裏のポジネガの対比は、ライヴとスタジオという内容に対応しているのか。しかし、これまでの凝ったジャケットに比べると、シンプルというより何となく投げやりな印象。もう解散だからどうでもいいやってことなのかも。

ライヴとスタジオという構成自体は、そんなに珍しくはない。クリームの『グッバイ・クリーム』とか、マウンテンの『悪の華』などがそうだし、2枚組だがクリームの『ホイールズ・オブ・ファイア』や、当時出たばかりだったオールマン・ブラザース・バンドの『イート・ア・ピーチ』なんかもこの仲間に入るかもしれない。
フライド・エッグは、この内あきらかにクリームのラスト・アルバム『グッバイ・クリーム』を意識していると思われる。タイトルと構成の点で。

ライヴ・サイドは1972年9月19日に日比谷野音で行われた解散ライヴからの4曲。曲の内訳はストロベリー・パス時代の『大烏が地球にやって来た日』から2曲、フライド・エッグになってからの前作『Dr.シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』から1曲、そしてB..キングのカヴァー1曲。リリースしたばかりの前作からの曲が少ないのがちょっと不思議。

冒頭、バンドを紹介するMCが英語だ。「レディース・アンド・ジェントルメン…」ときた。当時のライヴは、みんなこんな調子だった。客は日本人ばかりなのに、カッコつけてるわけだ。何とも懐かしく、そして恥ずかしい。

それはともかく怒涛の熱いステージの様子が伝わってくる。スタジオ作だと、音を重ねたりして凝ったつくりになっていたが、ここではシンプルに各人のプレイを堪能できるのがうれしい。もっと他の曲も聴きたかった。

これに対してスタジオ・サイドは、どれも曲の出来が良くない。成毛作の2曲、角田作1曲、高中作1曲という内訳。
B面1曲目の成毛作は性懲りもなくまた柳譲治(柳ジョージ)の一本調子ヴォーカル曲。2曲目は高中作のキング・クリムゾン「エピタフ」モロ似。3曲目の角田作は、例によってのバラード凡作。ラストの成毛作が大仰なだけの大作。といった具合。

こうしてライヴ音源とスタジオ曲が並ぶと、彼らがいかにプレイヤーとして優れているか、そしていかに作曲者、クリエイターとしてイマイチであるかが際立ってしまう。

ところで、スタジオ音源の方ははっきりした録音データがないらしく、そのためこれまでの録音のアウト・テイクと考えられているらしい。しかしライナーで田口史人は、それを否定しその完成度の高さから、このアルバムのための新録ではないかと推定している。

しかし、私はやはり旧録のアウト・テイクの可能性も高いと思う。
B面1曲目「ビフォア・ユー・ディセント」は柳譲治が参加しているから、ストロベリー・パスの『大烏が…』のセッションのあまりかもしれない。
B面の残り3曲は前作『Dr.シーゲルの…』にそれぞれ同傾向の曲がある。
高中の「アウト・トゥー・ザ・シー」は、「エピタフ」似という点で前作の「プウラスティック・ファンタジー」とかぶる。角田の「グッドバイ・マイ・フレンド」も、前作のバラードとかぶる。そしてまた成毛のラスト曲「…シンフォニー」は、やっぱり大仰な曲調という点で前作の「ガイド・ミー・トゥー・ザ・クワイエットネス」とかぶっている。
前作の収録曲に似ているということから、これらの曲が前作のセッションのときに録音されたが、アウト・テイクになったという可能性も考えられるのではないだろうか。何しろ前作は制作に3ヶ月もかけたのだから、たくさんのアウト・テイクがあってもおかしくないはずだし…。

以下、各曲について。

1 「リーブ・ミー・ウーマン(LEAVE ME WOMAN)」

ストロベリー・パス時代の『大烏が地球にやって来た日』収録曲。
オリジナルのスタジオ版は、オルガンも入っているわりに、コンパクトにまとまっていて地味な感じだった。が、このライヴ・ヴァージョンでは、よりヘヴィでかつスピード感もアップして見違えるような出来だ。
ラスト付近のギター・ソロやドラムスのフィル・インなどツェッペリンっぽくて好きだ。

2 「ローリング・ダウン・ザ・ブロードウェイ(ROLLING DOWN THE BROADWAY)」

前作『Dr.シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』からの曲。
スタジオ版は、多重録音でぶ厚いサウンドをだしていたが、このライヴではオルガン抜きでも十分厚くてヘヴィな音になっている。リズムに、スタジオ版にはなかったうねり感があるのもいい。
ギター・ソロは、スタジオ版でじゃまだったサイド・ギターがない分たっぷり楽しめるかと思いきや、意外と短い上にやっぱりハイトーンのコーラスがかぶさってきて今ひとつ。

3 「ロック・ミー・ベイビー(ROCK ME BABY)」

..キングの曲だが、1967年のモンタレー・ポップ フェスティバル'でジミ・ヘンドリックスがカヴァーしていたことでも知られる。近年、エリック・クラプトンも本家B..キングとの競演でこの曲を吹き込んでいた。
モンタレーでのジミ・ヘンは例によってヘヴィな爆走サウンドでの演奏。ここでのフライド・エッグは、オリジナルのB..キングとも、ジミ・ヘンのアレンジとも違うブリティッシュ風のハードなロックン・ロールだ。

角田の歌う歌詞は「ロック・ミー・ベイビー(またはハネー)、ロック・ミー・オールナイト・ロング」だけで、あとの歌詞は全部省略している。ジミ・ヘンもかなり省略して歌っていたから、この点はジミ・ヘンにならったか。

4 「ファイブ・モア・ペニー(FIVE MORE PENI)」

これもストロベリー・パス時代の『大烏が…』からの曲。ギターのソロの前に、ベースとドラムスのソロ・パートもはさまって、オリジナルの2倍の長尺の演奏だ。
ただし、ベースとドラムスのソロというものは、本来余興みたいなもの。実際ここで聴ける二人のソロ・プレイもまあそれなりだ。

高中のベース・ソロの終盤では、グランド・ファンク・レイルロードの「Got This Thing on the Move」(1969年のセカンド・アルバム『グランド・ファンク』に収録)で、メル・サッチャーが弾いているベース・ラインが引用されている。たぶんこれが、ドラムスにソロをわたす合図なっているようだ。

ドラムソロに続いて始まるギター・ソロはスタジオ版と同様前半が無伴奏で、そのあとベースとドラムが入ってバンド・サウンドでのソロになる。
無伴奏パートの中ほどでは、ジミ・ヘンドリックスの「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」(『エレクトリック・レディランド』に収録)のイントロのフレーズが繰り返されている。
ちなみにこのフレーズはウッド・ストック・フェスのオムニバス・アルバムでも聴くことができる。
このオムニバスに収録されているジミ・ヘンの曲は、あの有名な「スター・スパングルド・バナー(星条旗)」と「パープル・ヘイズ(紫のけむり)」の2曲のみだ。しかし、「スター・スパングルド…」は、実際のステージで直前に演奏された「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」のアウトロ部分から収録されていて、そこでこのフレーズが弾かれている。ちょうど「スター・スパングルド…」のイントロのようにも聴こえて、とても印象的だった。
ウッド・ストック・フェスの現場にいた成毛にとって、ジミ・ヘンのステージは見なかったにしても、このメロディはとりわけ思い入れの深いフレーズだったのではないか。

そのあとギターはワウを効かせた早弾きのメロディになるが、ここは何かクラシックの元ネタがあるのかもしれない。

ソロ後半のベースとドラムスがバックに入ってのギターのソロは、スタジオ版同様切れ味鋭いシャープな展開で素晴らしい。このアルバムのハイライトと言えるだろう。

5 「ビフォア・ユー・ディセント(BEFORE YOU DESCENT)」

ヴォーカルがなぜかまた柳譲治。例によって平板なヴォーカルだし、曲そのものもつまらない。

6 「アウト・トゥー・ザ・シー(OUT TO THE SEA)」

これは誰がどう聴いてもキング・クリムゾンの「エピタフ」でしょう。高中が弾くギターの音色、リズム、アコースティック・ギターの使用、アレンジ、…みんな似ている。
同じく高中作の前作収録「プラスティック・ファンタジー 」も「エピタフ」に似ていたけれど、こちらはさらにもっと似ている。若き高中君はよっぽどこの曲が好きだったのか。

歌詞の中に「クリムゾン」ていう言葉が出てくるから、公然とマネしているわけで 一種のシャレというかパロディなのか、はたまたオマージュなのか。ただし曲の出来はたいしたものではない。

7 「グッドバイ・マイ・フレンド(GOODBYE MY FRIENDS)」

角田はドラムスはパワフルなのに、根はこういうせつないバラード志向の人らしい。早くもマンネリ化したのか、これはかなり平凡。

8 「521秒間の分裂症的シンフォニー (521 SECONDS SCHIZOPHRENIC SYMPHONY)」

いかにも成毛が好きそうな4つのパートからなるプログレ的展開の曲。キーボード中心の音の壁で壮大に盛り上げる。しかし大仰なだけで中身がない。ちょうどロジャー・ウォーターズ抜きのピンク・フロイドみたいな感じだ。

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